首相も大臣も世襲ばかり。危機感も人材も足りぬ自民党が衰退させた日本

2022.12.01
 

松本氏のように、小選挙区制導入直後の2000年代前半には、選挙区が空かず自民党から出馬できない保守系候補が、候補者の数が十分でなかった民主党から出馬するケースが目立った。「保守2大政党」を求める当時の政界の圧力のなか、自民党出身議員も数多く所属していた民主党からの出馬は、彼らにとって違和感が少なかったとも言える。

父親が元防衛庁長官ということもあったのか、松本氏は民主党内で、外交・安全保障に通じた政策通として、早くから頭角を表した。政権交代前の2003年には、当選2回で民主党「次の内閣」で防衛庁長官を務め、05年には当選3回で政調会長に抜擢された。

民主党が09年に政権を獲得し、松本氏が前述したような理由で急きょ外相に就任したわずか4日後、東日本大震災が発生。未曾有の大混乱のなか、松本氏は外相として、支援を申し出る諸外国との調整などに奔走した。政権内で大きな経験を積んだ松本氏は、そのまま民主党にいれば将来の代表候補に成長した可能性もあった。

しかし、民主党が下野した後の2015年、松本氏は同党が共産党との連携を深めつつあることへの違和感を表明して同党を離党。17年に自民党入りした。

松本氏のほかにも、細野豪志氏や長島昭久氏など、ほぼ同時期の2000年代前半に民主党から初当選した保守系議員が何人も、松本氏とほぼ時を同じくして、民主党を離れ自民党入りしている。

下野後の民主党が自らの存在意義を模索するなか「自民党との違い」の強調に傾くのは必然と言えたが、民主党の存在意義を「自民党とさほど違わない」ことに置いていた保守系議員にとって、党が居心地の悪いものになっていったことは、理解できないこともない。安易に自民党にくら替えできたのは、民主党時代から「政党ではなく個人の力で当選を重ねてきた」という自負もあったのだろう。

しかし、政権選択をかけて事実上「与党か野党か」の二者択一を迫られる形の衆院選において、2大政党の片方からもう片方へと政党を安易に移動するのは、有権者の負託をあまりにも軽く考えていると言わざるを得ない。

だいたい「保守2大政党なんて成り立たない」ことを理解していない段階で、まず政治センスがない。自らの政治信条に従い、自民党からの公認を得るため臥薪嘗胆するということもなく、ただ安易に「早く国会に議席を得たい」というだけの理由で、敵対政党からの出馬を選ぶ政治家の目指す政治とは何なのか、という気にもなる。

保守系に色分けできる議員は、立憲民主党や国民民主党など、現在の野党陣営にも何人も残っている。しかし、その多くは(すべてとは言わないが)「自民党とは違う社会像を目指す」「政権交代で政治を変える」ことを明確に意識している。厳しい野党暮らしに耐え、政権奪回という「いつ来るかも分からぬ機会に備えて」いる。安易に自民党入りなど考えたりしない。

筆者はそういう政治家の方に信頼を置く。

ともあれ松本総務相の就任は「対立政党に幹部級まで育てられた人材に頼るほど、今の自民党には人材がいないのか」ということを感じさせるに十分だった。あれほど「悪夢の民主党政権」と口を極めて罵っていたのは、一体何だったのだろう。

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