スシロー事件。SNSの登場で変わってしまった「良い人でいるべき」範囲

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SNSにアップされた回転寿司店での非常識な迷惑行為の動画が拡散され、テレビなども取り上げたことで大騒動に。回転寿司店各社は迷惑行為をした人物の謝罪を受け入れず、法的措置に踏み切ることを示唆しています。この事件に強い関心を示すのは、エステサロンや飲食店、書道教室を経営する文香さん。今回のメルマガ『文香’camarade』では、周囲の迷惑になる行為を自制するのは、人類が獲得してきた生きる術でも、気をつければならない範囲がSNSによって広くなっていることに、脳が追いついていない人がいると解説。小さな集団の中での「悪ふざけ」では済まされなくなったと、環境の変化を指摘しています。

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スシロー事件から考える…良い人に見える事がサバイバルで生き残るために必要なスキルなのか?

人に見られるという事。承認欲求?最近 SNS依存とか言われる承認欲求。だけど、これは人間の持っている本能みたいなものなんだとか?!

スシロー事件。メルマガ読者の皆様なら、もう御存知かとおもいますが。醤油、寿司、湯呑み…ペロペロしてる、何とも気持ち悪~い動画です。バイトテロ事件など、頭良い人なら何でバレてクビになるような動画配信するのか?と頭悪い人が取る行動なのですが。これにも深い理由があるようです。

人間は1人では生きていけない。これは別に寂しがりやさんの心情ではなく、物理的にも生きていけない。大昔から人類は群れで移動し、生活を営んできました。狩猟をし厳しい自然環境の中で生きて行くためには、協力し助けあって生き抜いていかなければならない。

そんな時に自分勝手な行動や、振る舞いをしてしまう者は、排除されてしまう。昔の人間の頭蓋骨の左側に致命傷となる殴打された跡が残っているものが一定数あるそうです。狩猟から、農耕民族へと変わっていく中ではさらに殺害されたであろう頭蓋骨の陥没痕跡は増えているそうです。

農耕民族となれば、さらに協力し助けあって村社会となっていたはずで、社会の中で危険な人。要らない人。のレッテルを貼られるという事は、命の危険=抹殺をも意味する事となるのです。なので人間は生きていく知恵として、周りの人から嫌われてはいけない!好かれなければいけない!と本能で理解しているのです。

良い人でなければ生きていけないサバイバルを生き抜いた人類。自分の生活環境の中で善人であれば何とか生きていける術を得てるわけですが。SNSというものが登場してきた現代、人類が今まで培ってきた生き抜くために必要であった良い人と思われなければいけないというものが一気に範囲が広くなってしまった。

今までは自分に属する社会、例えば学校や会社や町の中で良い人であれば良かったものが日本から世界へと広がってしまった。この概念がまだ人間の脳では処理が出来ていないようですが、ただ単純にSNSの承認欲求というものでは無いことが分かります。

みんなに凄い人と思われたい?!あのスシローでペロペロしていた若者は、そう思ったのでしょうか?昔、学校のクラスメイトで先生や友達をからかったりして、ふざけていた男子などが人気者になったりしましたよね?多分ああいうノリなのかもしれません。面白くて楽しい人気者!そんな幼稚な悪ふざけは、確かにYouTubeではウケる。

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