それから何十年後かに、会津藩の教えである「ならぬものはならぬ」という言葉を聞いたとき、あの20代の自分が、怒りも悲しみも忘れて呆然と立ち尽くした光景がありありとよみがえってきたことを思い出します。
そして今。心理学を学び、企業研修やら個人向け研修やらで「気持ちの持ちよう」だのを伝え、カウンセリングという場で人の悩みや苦しみに寄り添う機会を得、たびたびこれがよぎる。
「ならぬものはならぬ」
「なせばなる」というなんだか音の近い言葉もあるし、それも実感としてわかるのです。だから、必要なのは「なせばなる」ことと「ならぬものはならぬ」ことを見極めて、そして「なせばなる」ことだけに100%、120%、200%の力を注いで、「ならぬもの」に関しては「ならぬ」のだから、すっと手放す勇気を持つことじゃないのかな。
力を注ぐよりも手放す方がよっぽど難しいのも事実。どんなに頑張ったって、どんなに努力したって、その頑張りや努力とは無関係にことが決まったり進んだりすることってあるのです。
運とか、めぐり合わせとか、すれ違いとか、ほんのちょっとしたタイミングのずれとかで、喉から手が出るほど欲しいものが手に入らないこととか、手からするりと滑り落ちてしまうことだってある。悔しいし、悲しいし、残念だけれど、どうにもならないことって本当にある。「たられば」なんて、ないのです。
昔の人ってすごいよね。ちゃんとそれを言葉に、教えに残しているんだもの。「ならぬものはならぬ」ことに出会うたびに、奥歯を噛みしめながら、その執着を手放す勇気を心の中で振り絞るのです。
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