会津藩の教え「ならぬものはならぬ」を知って悟った“生きる術”とは?

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仕事を始めてみると、自分が納得できない理由で強制されたり、否定されることがあります。職場の誰もが生き生きとして楽しく仕事をしていても、突然その仕事がなくなってしまうことも。今回のメルマガ『公認心理師永藤かおるの「勇気の処方箋」―それってアドラー的にどうなのよ―』では、公認心理師の永藤さんが、最初の転職で出会った雑誌編集の仕事が親会社の意向で消滅した体験を振り返り、「ならぬものはならぬ」という会津藩の教えで悟った処世術を紹介しています。

人生、「ならぬものは、ならぬ」と「なせばなる」の見極めが必要

20代の真ん中くらいの頃、とある業界の月刊誌の編集者をしていました。その前、新卒で入った会社は、知名度は抜群の、何万人も社員がいる会社だったのだけれど、「この仕事がどうしてもやりたい!」と思って入社したわけではなくて。

今思えばその会社にも申し訳ないし、自分にも腹が立つのだけれど、「学校出るから(ほぼ自動的に)就職でもするか」「これといって特にやりたいこともないし、とりあえず名前の通ってる会社でOLでもやるか」という、本当に世間を舐めた未熟者でした。でも入ってみると、やっぱり合わない。それなりに楽しいこともあったけれど、日々苦痛。

で、初めて転職した先が、月刊誌の編集部で。書店販売ではない、直販の業界誌で、編集者も4人プラス外部の編集プロダクション2名の小ぢんまりした所帯。よくもまぁ、まったく未経験の、何者でもない私を雇ってくれたなぁと思うのですが、なんとなくそこに潜り込み、紙媒体のイロハのイから教えていただいたのでした。

すべてが覚えることだらけ。でも自分で取材して原稿を書いたり、外部の方にいただいた原稿を手直ししたり、編集作業の一から十まで携わることができて、本当にうれしかった。

朝9時から、忙しい時は終電ギリギリまで、そしてゴールデンウィークやら年末年始やらお盆の前やらは、印刷工場が休みに入ってしまうので、進行がキツキツになって、休日出勤があたりまえだったりもしたけれど、それでも嬉々として毎日仕事をしていたなぁ。馬車馬のように、機械がガシャンガシャン音を立てるかのように働いていたと思います。

体力的にも精神的にもホントにしんどかったけど、でも月に1回、印刷所から新しい号が納品されると、「よし!」という、確かな手ごたえがあったのです。

が。ある日突然、雑誌の廃刊が決まり、会社がなくなることが告げられて。その雑誌社の親会社の意向ひとつで、不採算子会社だった私の居場所が、ピッと、爪で弾くように、消滅してしまったのでした。

「なんで?」「どうして?」。そんなことは訊いても無駄。景気が悪くなり、業界そのものが坂を下るように縮小傾向になり、そこの「業界誌」の行く末なんて真っ暗以外の何色でもなかったのでしょう。

いい雑誌だったんだけどな。特集も、その他の企画も、現場の声を反映していたし、業界内のどこに取材に行っても「いつも読んでますよ」って言われていたし。

でも、どんなに私たち編集部がいい仕事をしていようと、そんなものは全く関係なかったのです。「この仕事を、このメンバーで続けたい!」どんなに強くそう願っても、それは叶うことはありませんでした。

ダメなものはダメ。無理なものは無理。それを嫌というほど思い知らされたのが、1994年のこの時でした。

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