なぜ人々は、豊臣秀吉が「大坂城で政治をした」と思い込んでいるのか?

Ancient Japanese samurai castle in Osaka that played key role in Japanese history.Traditional Japanese Osaka Castle is called Hideyoshi Castle.Old tower houses a museum and observation deckAncient Japanese samurai castle in Osaka that played key role in Japanese history.Traditional Japanese Osaka Castle is called Hideyoshi Castle.Old tower houses a museum and observation deck
 

日本人なら誰もが知っているであろう豊臣秀吉。太閤や大坂城といえば彼をイメージする人も多いのではないでしょうか。今回、メルマガ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ』では、時代小説の名手として知られる作家の早見さんが、秀吉の「イメージと事実」について紹介しています。

太閤、安土桃山、大坂城イコール豊臣秀吉。イメージと事実について

関白を辞し、息子も関白になった者を、「太閤」と呼びますね。太閤といえば豊臣秀吉です。定義からすれば、秀吉に限った尊称ではないのですが、太閤すなわち秀吉を指すくらいに一般化しています。

江戸時代、「大師は弘法に奪われ、太閤は秀吉に奪わる」と言われていたそうです。太閤同様、大師号を受けた僧侶も複数存在するのですが、大師といえば弘法大師がイメージされることをこの言葉は語っています。

そんな秀吉がイメージされている事柄が事実ではない点があります。

秀吉は大坂城で政治を行っていた、と思っている人たちは珍しくありません。このイメージのせいか、時代名称として、「安土桃山時代」ではなく、「安土大坂時代」に改称すべきだ、という意見もありますね。

ところが、秀吉は関白に任官して名実共に日本の政治を担う立場になりますと、大坂城ではなく京都に造営した聚楽第を拠点としました。関白を辞し、太閤となってからは隠居城として普請した伏見城(桃山城)が豊臣政権の政庁となります。

関白は天皇を補佐して政治を担う役職ですから、大坂ではなく京都で政務を執ったのだと思います。この点からすると、やはり、「安土桃山時代」の呼称が適切ですね。

秀吉イコール大坂城というイメージになったのは、大坂城は秀吉が造ったこと、秀頼が大坂城に常駐したことが大きいと想像できます。それで、豊臣は大坂と、認識されたのではないでしょうか。

徳川家康は豊臣を滅ぼした後、大坂城を徹底的に破却、天守閣は地中に埋めてしまいました。家康死後も徳川幕府は大坂から豊臣色を消し去ろうとして、幕府による新大坂城を普請しました。豊臣の大坂城を凌駕する大きな城でした。

ところが、江戸時代を通じて大坂の町人たちは、「太閤さん」が好きで、幕府が造った大坂城に秀吉の面影を見続けます。幕府への反感が秀吉人気を高めたようです。

現在でも大坂城といえば秀吉がイメージされますね。

image by: Shutterstock.com

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