もはや前世紀の遺物。それでもG7にしがみつくニッポンの無知蒙昧

 

日本に目立つ「民主vs専制」という誤った二元論

この問題についての日本での解説で目立つのは、誤った「二元論」である。米国を盟主としたG7に対して、中国とロシアを中心に反米的な国々がBRICS+に集まろうとしているとしてこれを警戒すべきだという論調で、これはまさに米国=盟主という20世紀の古臭い常識から抜けきれないまま、「民主主義国vs専制主義国」という誤った図式で世界を捉えようとするものである。その実例は山ほどあるが、1つだけ挙げると、日経新聞22年7月2日付「ASIAを読む」欄でインドのスリーラム・チャウリアという教授のBRICS+についての言説を紹介した後に、同紙の小平龍四郎=編集委員が次のような解説を苦々しげに付け加えている。曰く、

▼世界第2の経済大国に上り詰めた中国は、やはり民主主義と異なる価値観を持つロシアとともに、地政学リスクを増幅し世界を揺さぶり続ける。

▼4カ国に南アフリカが加わった意義は小さくない。民主主義の考え方を共有しうる国々が有力新興国グループの中で存在感を高めたからだ。〔22年〕6月のG7サミットにはインドと南アも招待された。使いようによってBRICSは先進国が中ロを牽制する有力な枠組みになりうるだろう。

……見る通り、かつての自由主義vs共産主義、資本主義vs計画経済というイデオロギー的価値観の対立がそのまま民主主義vs専制主義に置き換えられている。G7の側に付いて米国に従順に生きていくか、BRICS+に入って中ロと交わろうとするのかは、イデオロギー的価値観の問題なのであり、そこで西側の我々としてはインドや南アなど価値観を同じくする国々を使って中ロを牽制する場としてBRICSを利用すべきである、と。つまりBRICSに手を突っ込んで民主主義vs専制主義の対立を煽ろうというわけである。

頭がおかしいとしか言いようがない。まず「民主主義」を絶対的な宗教のように語っていて、例えばインドが確かに整った普通選挙の仕組みを持っているのは事実として、その裏側ではヒンドゥー教優位の宗教差別、それとも結びついたカーストの階級差別に加えてジャーティーと呼ばれる職業差別が社会の底辺まで行き渡っていることに目を瞑って、簡単に「価値観を同じくする」などとどうして言えるのか。

そうではなくて、G7とBRICS+との関係は、20世紀的な一極覇権主義と21世紀的な多極主義との原理的な違いとして理解しなければならない。これを解説すると限りなく理屈っぽくなるので、それはまた別の機会に譲るとして、今や世界は「米国を盟主と仰ぐ国々」と「中ロを盟主と仰ぐ国々」に分かれようとしているのでなく、「まだ盟主というものがあってそれに頼っていれば安心だと思っている人々」と「もう盟主などというものはなく、問題に応じてそれに相応しい者が集って解決を図る以外に生きる道はないと考える人々」に分かれつつあるのである。組織論の次元で言えば、ピラミッド型のハードな組織がまだ有効だと思う人々と、ネットワーキング型のソフトな組織でないと役に立たないと考える人々の違いということになる。

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