近年、ツイッターやフェイスブックなどのSNSに残された故人のつぶやきや投稿を大切に残したいという遺族や友人たちの声はますます強くなっています。私の知人のフェイスブックは、彼女が亡くなってから5年が経ちますがそのまま残されています。女優だった彼女のファンが今も訪れているのです。
最近、ツイッター社が「長期間使われていないアカウントを消去する」と発表した途端、猛烈な反対運動が起こりました。その背景にも、故人の「記憶」を大切にしたいという関係者の願いがあったのです。
そんな遺族や友人たちでも、その故人のスマホがリサイクルに回されることに異議を唱える人は少ないでしょう。位牌やスマホが「かりそめ」のものである、というのは、そういうことです。
もちろん一方では、スマホ本体を形見として手元に置いておきたいという人もいるでしょう。それが故人を偲ぶ「よすが」になれば、それはそれで意味のあることです。
こうした反応の分化は、仏教諸宗派の間で、位牌に対する見解が食い違っている現実にも似ています。上記のスマホの例を考えれば、位牌を大切にする宗派の言い分にも、位牌は必要ないとする宗派の言い分にも、それぞれ一理あるのです。
私は時々、人間が造るものは、全てが、精神世界の仕組みを真似たものではないかと思うことがあります。
近年隆盛を極めているインターネットなどのコンピューターネットワークも、私たち生命体の全てをつないでいる神秘的な(おそらくは「量子もつれ」や「量子真空」が関与している)精神ネットワーク(私は仮に「ψネットワーク」と呼んでいます)の真似事に過ぎないと思えてなりません。
ψネットワークや、それにつながっていて、宇宙の全てを記憶している量子真空(いわゆる「ゼロポイントフィールド」)は、太古からさまざな呼び名で呼ばれ、さまざまな姿で形容されてきました。しかし、呼び名や描写は違っても、先人たちは、それらの存在に気付いていたのです。
人間の創造力に、こうした「気付き」が反映されれば、新たな発明品は、どうしても精神世界の「何か」に似かよってしまいます。そもそも、天才の脳を直撃する「インスピレーション(霊感)」もまた精神世界からやって来ると言ったら、それは言い過ぎでしょうか。
あの世とこの世は、ますます似て来るのかもしれません。
(メルマガ『富田隆のお気楽心理学』より一部抜粋)
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