ただし、そうは言っても、男女は共用だった。
それがいつまで共用だったのかというと、なんと昭和29年までです。
つまり我が国でも、ほんの70年前までは、大用トイレは男女共用であったわけです。
それがどうして男女のトイレが別になったのかというと、東京・文京区の小学校で起きたある事件がきっかけでした。
「文京区小2女児殺害事件」と呼ばれるこの事件は、昭和29年4月に、東京文京区本郷の区立元町小学校で起こった事件です。
この日、7歳で小学2年の女児が、トイレの個室で強姦のうえ、首を絞められて殺されるという悲惨な事件が起きました。
犯人は、通りがかりの20歳の男性で、通行中にたまたま尿意を催して小学校の敷地内のトイレに入り、そこでトイレで用を足していた女児に暴行に及んだのです。
当時の学校のトイレは、公衆トイレの役割も担っていました。
「このままではいけない」
「このような事件が二度とあってはならない」
ということで、事件の翌月の5月に東京都の教育庁が都内の小中学校宛に示した「新管理方針」が、次の6項目です。
1.学校長は男女のトイレを別にせよ
2.トイレの個室は必ず戸を閉めるように学童に注意せよ
3.来賓と学童のトイレを別にせよ
4.授業のない教職員は小使とともに校内を巡視せよ
5.外来者の出入りには、必ず教職員、小使が見られる通路を通るようにせよ
6.学校の垣根や柵を厳重にし、無闇に外来者が出入りできないようにせよ
そしてこの通達内容が、そのまま全国の小中学校に広がり、我が国では短期間の間にこの1~6が全国に広がって現代に至るのです。
トイレの男女が別になったには、そうなった理由があります。
そして国民の生命財産、そしてなにより子供たちの安全安心を確保することは、政治の使命であり、大人たちの役割です。
こうした経験を、歴史を、ただ外国から要求されたからと、安易に変更することは、断じてあってはならないことであると思います。
日本をかっこよく!
ではまた来週。
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