吉原の仮営業は妓楼の焼け太りばかりか、大評判となった心中事件をもたらしもしました。心中したのは名門旗本藤枝外記と高級遊女綾衣です。
藤枝家は三代将軍徳川家光の側室お夏の実家でした。お夏は家光との間に男子をもうけました。甲府宰相徳川網重です。網重は将軍にはなれませんでしたが、網重の子が六代将軍家宣となりました。お蔭で藤枝家は4,500石の大身となり、外記の代に至ったのです。
そんな名門旗本藤枝外記は妻子がいながら綾衣と恋仲になりました。外記の不行跡は幕府に知られ、外記は甲府勤番に左遷されます。会えなくなることを悲しんだ二人は駆け落ちをして江戸近郊の千束村の農家で心中を遂げました。
天明5(1785)年の出来事でした。普段の吉原であれば、大門に四郎兵衛と呼ばれる見張り番が三交代で一日中詰めていましたから、遊女が郭の外に出ることは困難でした。先に記しましたように見つかれば激しく折檻されます。足抜けは、時に拷問死という無惨な末路が待っていました。
仮営業ゆえ、二人は駆け落ちできたのです。
藤枝家は断絶処分となりました。名門旗本と遊女の心中は一大醜聞となり、明治に至って「半七捕物帳」で有名な岡本綺堂が、「簑輪心中」という歌舞伎に仕立てました。
名門旗本と吉原の遊女、身分差の厳しかった江戸時代にあって、さぞ江戸っ子たちの話題をさらったことでしょう。現代なら朝から晩までSNSやワイドショーを賑わすでしょうね。
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