どんなに主張しても決して実現しない「核廃絶」
戦争は「軍産複合体」が金儲けのために起こしているなどということがよく言われるが、これも似たような話だ。
イラク戦争の頃はわしもそのようなことを言っていたのだが、ウクライナ戦争以降はこれも陰謀論だと思うようになった。
軍需産業があるから戦争が起こるのではなく、戦争が起こるから軍需産業が必要になってしまうのだ。ロシアが侵略してくるなら、それに対抗できる兵器を誰かが作っていなければしょうがないのだ。
地上から武器をなくせば戦争はなくなるなんて言っても、完全に無意味だ。
だったら、石斧も槍も弓矢も作ってはいけない。人類が狩りをするために、石から武器を作り出した時点から「悪」だったということになる。
獲物を捕るために弓や槍を作ったら、それは必ず人間にも向けられ、殺し合いが始まる。武器を使って殺し合いをするのが人間なのだ。
それは人間の性としか言いようがない。「しょうがない」のである。道具は使いようで、包丁は料理にも使えれば殺人にも使える。この世から武器がなくなったら、人は包丁や鎌を振り回してでも戦うだけなのだ。
一旦作られた武器は、殺傷力を高めるためにどんどん改良が加えられていき、それを止めることはもうできない。人類が石斧を作った時に、もう運命は決まったのだ。それが今の軍需産業の始まりなのである。
そうして殺傷力を追求していって、行きついたのが核兵器である。石斧から核兵器まではつながっていて、どこかで止めることはできなかったのだ。
だからどんなに「核廃絶」を主張しても、それは決して実現しない。一度世に現れた兵器を根絶することは不可能であり、その事実は認めないとしょうがないのだ。
そんな「しょうがない」世界の中で、戦争の惨禍を抑える手段としてひとつだけ残っているのが「国際法」である。
国際法によって、戦争をルールのあるものにする、それ以外に手段はないのである。
本当のことを言えば、戦争にルールを作ろうなどというのは、無謀な挑戦というしかない。しかし、これが人類唯一の知恵なのであって、それをやろうというのは無謀な挑戦であると共に、偉大な挑戦でもあるのである。
パール判事が理想とした「世界連邦」のようなものが成立して、国家をも取り締まれる世界警察ができるのが一番いい方法ではあるが、あまりにも途轍もない理想であって、その実現はまず無理であるとは思っている。
しかし、世界連邦ができないから何もせずに放っておくというわけにはいかない。
せめて国際法の支配というもので何とか縛ろうというくらいしか、人類には手段がない。そう考えるのが、本物の平和主義者というものである――(メルマガ『小林よしのりライジング』2023年6月20日号より一部抜粋・敬称略。続きはご登録の上お楽しみください)
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