全米が激怒したコカ・コーラ1985年の大失敗。ニュー・コーク騒動に学ぶマーケティングの醍醐味

2023.06.24
Atlanta,,Ga,,Usa,-,December,04:,A,Glass,Full,Of
 

1985年、「新しい味」のコカ・コーラを巡り米国で起きたニュー・コーク騒動。入念なマーケティングの末に市場投入された新しいコーラは、なぜ消費者の反発を買ってしまったのでしょうか。その原因を探るのは、神戸大学大学院教授で日本マーケティング学会理事の栗木契さん。栗木さんは今回、ニュー・コーク騒動の概要を紹介するとともに、そこから学べる「優れた経営者の条件」を考察・解説しています。

プロフィール栗木契くりきけい
神戸大学大学院経営学研究科教授。1966年、米・フィラデルフィア生まれ。97年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。博士(商学)。2012年より神戸大学大学院経営学研究科教授。専門はマーケティング戦略。著書に『明日は、ビジョンで拓かれる』『マーケティング・リフレーミング』(ともに共編著)、『マーケティング・コンセプトを問い直す』などがある。

怒りと抗議の標的に。なぜ「ニュー・コーク」販売は失敗したのか?

騒動のなかの経営者

凡庸な経営者は、失敗をして消え去る。本当に優れた経営者は、転んでからも本領を発揮する。傷口を広げず、失敗を逆手に取って事業を成長に導く。

ニュー・コーク騒動は、マーケティングの古典的ケースである。1985年にコカ・コーラ社が、100年続いた伝統の味を新しい味に変更したところ、全米から抗議が殺到し、数ヶ月後に元の味のコカ・コーラを復活させることになる。このニュー・コーク騒動の渦中にあって、当時のコカ・コーラ社の経営者たちは事態をどのように受け止めていたか。

ニュー・コーク騒動の顛末

コカ・コーラ(コーク)は、アメリカ合衆国のなかにあってシンボリックな価値をもつ飲み物である。コークは、長らくシェアトップの座にあり、No.1のコーラ飲料だった。しかし1970年代の後半以降には、ペプシとの競争のなかで、シェアの差が縮まり、僅差となっていっていく。ペプシは、新しい時代の新しい「味」のコーラ飲料であることを売りにしていた。

1981年にR.ゴイズエタが、コカ・コーラ社の会長兼CEOに就任する。社長はD.キーオである。新しいトップ・マネジメントのもとでコカ・コーラ社は新しい味の開発をはじめた。多額の研究費と3年ほどの年月をかけて編み出された新しいレシピは、マーケティング・リサーチを行ったところ、高評価を得た。

ゴイズエタたちは、伝統的なコークの味を一新することを決断した。新しい味のコークは、1985年4月23日に発表された。当初の市場での動きは悪くはなかった。新しいコークのニュースは、全米に流れ、1億5,000万人の人たち(当時の米国の人口の62%)が、新しいコークを購入するなど、販売は順調だった。

コークの伝統的な味を切り替えることについては、当然反発が予想された。この影響は、少し遅れて現れた。やがて日を追うごとに、旧コークを飲めなくなった愛好者の不満の声が高まっていく。5月の半ばにはコカ・コーラ社は、殺到する苦情や抗議に対応するために、コールセンターの電話回線を増強しなければならなくなっていた。一方で、旧コークの愛飲者たちによる集団訴訟が取り沙汰されるようになり、こうした動きをマスメディアが報じ続けた。

6月に入り新しいコークの販売は急減する。米国中が騒然とする中、コカ・コーラ社は7月11日に過ちを認めて謝罪する。伝統的な味のコークを復活させ、「コカ・コーラ・クラシック」として、新コーク(名称はコカ・コーラ)と併売するとの発表を行った。この発表は、好意的に受けとめられ、騒動は鎮静化していく。

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