宇宙への夢が強すぎた男が歩んでしまった「弾道ミサイル」開発の道

Shot of a Launch Pad Complex: Successful Rocket Launching with Crew on a Space Exploration Mission. Flying Spaceship Blasts Flames and Smoke on a Take-Off. Humanity in Space, Conquering Universe.
 

アメリカでの暮らしが一段落したものの、ブラウンは猛烈なバッシングに晒されました。彼がV2号ロケット開発を担っていたことは周知の事実であったからで、しかもブラウンはナチ党員でした。親衛隊(SS)の少佐だったのです。ヒトラーの恐怖政治の尖兵となったSS少佐であったことは、たとえブラウンが残虐行為に加担していなくても、批難を向けられるキャリアでした。

また、ドイツの方からも敵国であったアメリカに渡ってロケット開発に従事するとは裏切り行為だという批難の声が上がります。ブラウン自身は、「宇宙に行くためなら悪魔に魂を売り渡してもいいと思った」と語っています。

ブラウンはアメリカ陸軍の弾道ミサイル開発に従事する一方、ロケットの平和利用である宇宙ステーションを構想します。また、子供たちの宇宙への興味をかきたてるためにウォルト・ディズニーに協力しました。ディズニーはディズニーランド建設のための費用を稼ぐためにABCテレビで、『ディズニーランド』という番組を製作していました。デイズニーに誘われ、ブラウンは出演しました。

ブラウンは子供たちに向かって宇宙旅行について解説をしました。自分が設計した4段式ロケットの模型を見せながら、熱っぽく宇宙への夢を語ったのです。まだ、人工衛星すら飛んでいない時代、ブラウンは真剣に宇宙ロケットについて語ったのです。

子供たちの宇宙への夢を喚起しつつも、ブラウンは陸軍弾道ミサイル局の開発オペレーション部長として西側諸国初の人工衛星エクスプローラ1号の打ち上げに成功しました。これが、アメリカにおける宇宙開発計画の出発となり、1960年にはアメリカ航空宇宙局NASAが新設したマーシャル宇宙飛行センターの初代センター長に就任します。

折しもアメリカは若きジョン・F・ケネディが大統領に就任、人類を月に送る計画が発足します。責任者となったブラウンは低軌道、月軌道飛行用有人打ち上げ機、サターンロケットの開発に従事します。サターンロケットは使い捨ての3段式液体燃料打ち上げロケットでした。そして、1969年サターンVロケットで打ち上げたアポロ11号が月面着陸に成功します。

V2号ロケットがロンドンに着弾した時、ヒトラーは大いに喜びましたが、「ロケットは正確に動作したが、間違った惑星に着地した」とブラウンは複雑な心境を吐露したそうです。

「私は宇宙へ人間を飛ばすためなら、悪魔と手を握ってでも働き続けたと思う」

この言葉がブラウンのロケットに捧げた人生を語っています。

image by: Shutterstock.com

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