麻生太郎が皇室典範「改悪」で“皇室を私物化”疑惑が浮上。「愛子天皇」への期待をガン無視する議員たちに為す術もない国民の不幸

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政治権力と皇室の距離感が改めて問われている、「皇室典範改正」を巡る議論の行方。改正案を巡っては制度設計そのものだけでなく、その背景にある政治的な思惑や審議の進め方に対しても疑問の目が向けられています。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、宮内庁の答弁内容や旧宮家養子案を巡る経緯を詳しく検証。その上で、皇室のあり方を左右しかねない今般の改正案が抱える課題について考察しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:600年断絶の養子案で政治権力が皇室を私物化する日の危うさ

政治権力による皇室の私物化計画か。「600年断絶の養子案」の無理筋

終戦後の1947年に皇籍を離脱した、いわゆる「旧11宮家」の人々について、今上天皇と「何親等の隔たりがあるのか」と、7月10日の衆議院議院運営委員会で、塩川鉄也議員(共産党)が質問した。以下はそれに対する宮内庁次長の回答だ。

北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統であります。今から598年前の正長元年、西暦1428年に伏見宮彦仁王、のちの後花園天皇でありますが、皇位を継承したときに系譜が枝分かれしたものと承知しております。昭和22年に皇籍離脱された皇族男子の方々は今上陛下とは36親等から38親等の隔たりがあるものと承知しております。

この発言は、「旧宮家」を皇族に復帰させる皇室典範改正案の議論が、きわめて遠い血縁関係にある人物を皇室に組み込もうとしている現実を浮き彫りにしている。天皇系図をたどると、旧11宮家と天皇家の共通の祖先は北朝第3代崇光天皇にまでさかのぼる。崇光天皇の子は栄仁親王、その孫が貞成親王。ひ孫にあたる彦仁王が後花園天皇として即位した。

ここが、現在の皇室につながる「直系(後花園天皇の系譜)」と、「旧11宮家」すなわち伏見宮の系譜が分岐した地点だという。今から約600年前、室町時代のことだ。それ以降、両系統の間では婚姻関係などもなく、別々の家系として存続してきた。

民法上の親族関係では、一般的に親戚付き合いがあるのは「3親等(曽祖父母や孫)」「4親等(いとこ)」までといわれる。36~38親等というのは、もはや生物学的には「他人」とほとんど変わらない。

計算上、38代遡れば先祖は膨大な数にのぼるが、「共通の先祖」である確率も高まる。この数学的な事実は、血統というものが数百年の年月を経て、社会の中で完全に拡散し、個別の優位性など消失するという客観的な真実を突きつけている。

600年前に別れた家系を「特別な血統」として接ぎ木しようとする政治的試みが、いかに生物学的・歴史的事実を無視した空虚な儀式であるかを肝に銘じるべきであろう。

そうした意味で、宮内庁の「38親等」答弁には異例の重みがあった。単に行政的な事実確認に過ぎないという見方もできよう。だが、もっと深い意図を感じないだろうか。

宮内庁職員は日常的に天皇ご一家を補佐するプロフェッショナルだ。かつて宮家だったとはいえ、離脱して75年を経た家系の人を、長い時間をかけて準備することもなしに、突然「皇族」として迎えることが、どのようなことなのかを最も理解しているはずだ。いかに現場の混乱を招き、かつ皇室の格式を損なうことなのか。想像するだけでも脅威だろう。

今上天皇ご一家は長年、「国民と共にある皇室」を真摯に追求されてきた。政治的作為の強い「養子案」が、ご一家の日常からかけ離れた形で持ち上がり、強行されることに深い違和感を抱かれていることは容易に察せられる。

現に天皇陛下は記者会見で「国民の皆さんの理解が得られるものとなることを望んでおります」と述べられ、世論との乖離に憂慮を示している。

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