高市政権誕生時から始まっていた「女性天皇」を封じる動き
ともあれ、かくも矛盾に満ちた皇室典範改正案が高市内閣から提案され、わずか3時間の委員会審議で衆院を通過したのは厳然たる事実である。
産経をのぞく全国紙四紙はこぞってその拙速さを批判した。養子の子息の皇位継承資格は与野党協議の論点ではなかったはず。その証拠に、衆参両院正副議長がまとめた「立法府の総意」には、全くふれられていなかった。
だが、皇族として復帰したら、その子息は資格を有するのが当然。あえて議論の対象としないほうがいい。そんな認識が高市政権サイドにはあった。産経の以下の「主張」がそれを代弁している。
典範改正案は養子として皇籍復帰した男性皇族自身は皇位継承資格を持たないとしている。その子息は生まれながらの皇族となり、「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」とする典範第1条に基づき継承資格を持つ。
養子案を軸とする皇室典範改正が持ち上がったきっかけは、昨年10月20日に交わされた自民、維新の連立政権合意書の記載だ。
「皇族には認められていない養子縁組を可能にし、皇統に属する男系男子を皇族とする案を第一優先として、令和8年通常国会で皇室典範の改正をめざす」
はなから女性皇族のことなど考えておらず、皇位継承資格にも言及していない。旧宮家から養子をとり、その子孫に皇位継承資格を与えることを前提にこの文章が書かれたことは明らかだ。
愛子さまを念頭に女性天皇を望む国民の声は多い。にもかかわらず、事実上、その可能性の芽を摘み、今上天皇、上皇、昭和天皇とは皇統の異なる「男系男子」をむりやり探してきて、将来その子孫が天皇になる可能性をつくり出す動きが、高市政権の誕生時から始まっていたのである。
世論に耳を傾け、十分に女性・女系天皇について議論をすることなく、なぜ、これほど性急にことが運ばれたのか。主導者が麻生太郎氏だったからではないか。
皇室典範改正に躍起となる麻生氏への疑惑の最たるものは、実妹である信子さまが昨年9月30日付で三笠宮寛仁親王妃家を創設し当主となったこととの関係であろう。
文芸春秋7月号の対談記事で、野田佳彦元首相と御厨貴氏(政治学者)が次のような会話を交わしている。
野田 「さらに、どの皇族の方の養子に入られるのかも、全く議論されていません。天皇と直接血縁のある直宮の秋篠宮家はあり得ないとすると、常陸宮家、三笠宮寛仁親王妃家、三笠宮家、高円宮家の四宮家が候補になる。でも引き受ける宮家があるのか疑問ですよ。そのうち、昨年九月に突然作られた『三笠宮寛仁親王妃家』の信子さまは、麻生太郎・自民党副総裁の妹。高市政権の『利害関係者』とも言えます」
御厨 「三笠宮寛仁親王妃家に養子が取られたら、麻生さんが天皇の外戚になり、平安時代の藤原氏のようになる。政治的権力者と天皇の権威との距離がぐっと近くなって、皇族の政治的中立性が揺らぐ可能性もある」
この記事が話題となり、信子さまの新しい宮家がクローズアップされたのだが、そこに養子を迎え入れるのが突飛なこととはいえない。悠仁さまのいる秋篠宮家や高齢ご夫妻だけの常陸宮家を除外するとすれば、むしろ十分に可能性があるとみるべきではないか。
信子さまは、2004年から家族と別居し、2012年に寛仁親王が薨去された後も、長女の彬子さま、次女の瑶子さまとは離れて暮らしてきた。家族間の確執が原因らしい。
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