ナポレオンの心を射止めた“美魔女”と「妖婦」の名で呼ばれた日本の教育者

 

次にフランスの女傑、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌです。

ジョゼフィーヌはフランスの植民地だった西インド諸島に下級貴族の娘として生まれました。美貌に恵まれ、社交的であった彼女は16歳でボアルネという子爵と結婚し、一男一女をもうけますが二十歳で離婚します。

離婚後、ボアルネはフランス革命に巻き込まれてギロチンにかけられ、ジョゼフィーヌも投獄されました。獄中ではめげるどころか、オッシュ将軍という軍人と愛を交わします。やがて、革命政府が倒れると釈放され、オッシュを捨て、ちゃっかり新政府の有力者ポール・バラスの愛人になりました。

ナポレオンと結婚したのは32歳の時です。ナポレオンは6つ下の26歳、美魔女にメロメロとなりました。彼女の方はというと、ナポレオンが留守がちなのをいいことに、浮気三昧でした。遠征先からナポレオンが送ってきたラブレターを周囲の者に見せびらかして笑っていたとか。

そして思わぬハプニングが起きます。ジョゼフィーヌの浮気を叱責するナポレオンの手紙を乗せた船が敵将ネルソン提督に捕まり、手紙が新聞ネタになったのです。こんな大醜聞にもかかわらず、ジョゼフィーヌはナポレオンの愛を繋ぎ留め、ナポレオンが皇帝に即位すると皇后となりました。

しかし、子供ができなかったため6年後に離婚されてしまいます。臣下はジョゼフィーヌが離婚されたことに喝采を送ったと思いきや離婚に反対でした。ナポレオンも散々浮気していたからといこともありますが、ジョゼフィーヌは持前の社交性で夫が軍事、政治に専念できる環境を整えていた、つまり、内助の功を発揮していたからです。

果たして、離婚後ナポレオンは敗北を重ねます。ジョゼフィーヌはあげまんであったのです。離婚されてからも彼女は皇后の称号を持ち続け、裕福に暮らし、ナポレオンとも交流が続きました。最期の言葉の中に「ボナパルト」と夫の名があったとか。ナポレオンもジョゼフィーヌと呼んで息を引き取っていますから、きっと二人は深い絆で結ばれていたのでしょう。

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