「よかれと思って」が児童を傷つける。学校が、悪魔ならぬ“善魔”になる瞬間

 

学校教育は、この「善魔」に陥っていないか、常に点検する必要がある。

ちなみに他人から「偽善」と批判されることとは全く違う。「偽善」は善行を働いている人を周りが「嘘だ」と揶揄するものであり、基本的に批判される人以外、誰も傷ついていない。人道支援等に莫大な資金を投じて「売名の偽善ですが何か?」と堂々と言った著名人もいるが、偽善と言われようがそれは実際的に人が助かる行為である。「正しいことをする時には清い心をもって行なわければならない」という前提、思い込みが「偽善」という批判を生む。貧困等で苦しんでいる人が実際に助かるのは、その見えない心根以上に、具体的な行為そのものである。

一方の善魔は、気付かずに相手を苦しめているのである。自分でいいことだと心底思っているのだけど、実は苦しめているのがポイントである。つまり「善」だと思ってやっている本人が全く自覚できない、気付けないというのが、最大の難しさなのである。自覚できた時点で、もう善魔ではなくなるからである。

この「よかれと思って」への警笛が『不親切教師のススメ』全編を通しての内容の本質である。それは、本当に善いことなのか。常に自問自答できれば良いのだが、先に述べた通り「善魔」は自覚できないのが厄介なのである。そこで、その自覚を促すために、外部からの情報、刺激が必要になる。

本を読んで「そんなこと全部わかっている」と思えて実行できているなら、それでいいのである。しかしながら、大切なことは、繰り返し繰り返し繰り返し述べていく必要がある。習慣化には、時間がかかるからである。

自治体規模で教育の常識を見直そうという姿勢は、大いに歓迎すべきことである。小さなうねりが、やがて大きな流れになっていくことを願う。

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