しかし、牛乳パンが、このお店の名物として有名になっていったのではなく、長野のソウルフードになっていったのはなぜでしょうか。
人気商品が生まれれば、そのお店は有名になり、やがて老舗として知られるようになります。
「長野のあのお店には牛乳パンが……」となるところですが、いまは「長野県の牛乳パン」です。
それは、このお店の社長の意志なのです。
「こんなに美味しいものは、作り方をみんなに教えて、もっと広めるべきだ」。
そう考えた社長は、牛乳パンの講習会を開いたのです。
オリジナルの商品を生み出して、大きな儲けに繋げることは、商売人の醍醐味でもあり、やりがいでもあります。
しかし、地域の同業者みんなに教え、地域全体で繁栄していこうとするのも、商売人の心意気だとも言えます。
この牛乳パンは、乳白色のパッケージに、青色で描かれた、シャツに半ズボンの男の子のイラストが入っているものが多くあります。
このイラストは、「若増製パン」に倣って牛乳パンを作り始めた「かねまるパン店」が、最初に使ったものです。
現店主の幼少期の姿を母親がスケッチした絵で、ほのぼのとした優しいタッチが、人びとにウケたようです。
この絵もまた、商標登録などせずに、誰が使っても良いこととしました。
牛乳パンと言えば、この男の子のイラストが浮かぶほど、たくさんのお店で使っています。
パンもパッケージも、それぞれのお店でひと手間を加え、オリジナルの牛乳パンとなっています。
偶然生まれた牛乳パンが、長野県のソウルフードになるまでには、いろんな人の「みんなのために」という想いがあったことは間違いありません。
自分の儲けより、みんなの繁栄。
これが、地域おこしにも繋がっているのです。
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