日本国民に対する裏切り行為。アメリカの意向に沿い国の形を変えてきたポチぶりを米国議会でアピールした岸田演説の“狂気の沙汰”

 

岸田首相の「暴走の原動力」になっている虚栄心の正体

民主主義の本丸であるこの議場で、そして米国国民の代表である皆様の前で、こうしてお話しできることを大変光栄に存じます。9年前、私の盟友であった故・安倍元総理が、正にこの壇上で、「希望の同盟へ」と題した演説を行いました。私は当時、安倍内閣の外務大臣として両国間のきずなを目の当たりにし、深く感銘を受けました。

辻野突っ込み:この人には、安倍氏に対するコンプレックスが常に付いて回っている印象を受けていますが、ここでもそう感じました。実はこれは非常に危険なことで、単に「安倍氏を超えたい」というちっぽけな虚栄心がこの人の暴走の原動力になっている気もします。

幼少期からずっと、私は米国とのつながりを感じてきました。おそらく、小学校の最初の3年間をニューヨークのクイーンズにある公立小学校であるPS20とPS13で過ごしたからでしょう。日本人は私一人でしたが、同級生達は私を親切に受け入れてくれ、お陰で新しい文化に溶け込むことができました。そうしてニューヨークにやって来た私たち家族は、1963年の秋から数年間にわたり、米国人と同じような生活を送りました。父は通商担当官として、職場のマンハッタンまで地下鉄で通っていました。私たちは、メッツやヤンキースを応援し、コニーアイランドでホットドッグを頬張り、休日には、ナイアガラの滝や、ここワシントンD.C.まで出かけたものです。

そして今も思い出すのは、日本の少年にとっては物珍しく面白かったアニメ「フリントストーン」。今でもあの番組を懐かしく感じます。ただ、「ヤバダバドゥー」の意味を日本語訳することはできませんでしたが。あれから60年の歳月を経て、クイーンズの善良なる皆様にメッセージがあります。私の家族と私をあれほど温かく迎えてくださって、ありがとうございました。あの時代のことを、私は一時も忘れたことはありません。

辻野突っ込み:私は岸田氏と同年代の1957年生まれなので、フリントストーンに郷愁を感じる感覚はわかる気がします。岸田氏が米国生活をしていた頃は、まさに懐の深い古き良き時代の米国を体感できたのではないでしょうか。『パパは何でも知っている』や『奥様は魔女』などの米国のテレビ番組が日本でも放映され、それらを通じて垣間見た圧倒的に豊かな米国という国への一方的なあこがれが、どんな日本人にも多かれ少なかれあった時代だと思います。

だからこそ、私は本日、米国の長く、親しい友人として、皆様にお話しさせていただきます。米国国立公園局が、タイダル・ベイスンの再生プロジェクトを実施中と承知しています。日本は友情のあかしとして、米国の建国250周年に先立ち、タイダル・ベイスンに植えられる予定の桜250本を贈呈させていただきます。

当時のことをおぼえている方もいらっしゃるかもしれませんが、1964年の世界博覧会は、クイーンズで開催されました。シンボルは巨大な球体のモニュメントで、テーマは「相互理解を通じた平和」でした。

しかし、今の私たちは、平和には「理解」以上のものが必要だということを知っています。「覚悟」が必要なのです。米国は、経済力、外交力、軍事力、技術力を通じて、戦後の国際秩序を形づくりました。自由と民主主義を擁護し、日本を含む各国の安定と繁栄を促しました。そして必要なときには、より良い世界へのコミットメントを果たすために、尊い犠牲も払ってきました。

辻野突っ込み:平和には「覚悟」が必要だ、と言うのであれば、ここでは、かつて太平洋戦争でお互いに戦った相手である両国の歴史に言及すべきだったでしょう。その上で、悲惨な戦争の教訓を生かし、戦後は戦争を放棄し平和憲法を掲げる国に生まれ変わった日本国の「平和に対する覚悟」について語るべきでした。

米国は、「世界の警察」的な役割で戦後の国際秩序の構築に貢献してきた半面、ネオコンの戦争屋たちが常に世界のどこかで紛争や戦争を起こすための工作を続けてきました。最近では、ウクライナ戦争を画策した一人と言われ、国務次官を務めたビクトリア・ヌーランドがTV番組で堂々と「戦争は米国の国益に寄与している」という主旨の発言をしています。

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