「子どもを叱っちゃダメ」という風潮は悪。現役小学校教師が改めて説く“叱ることの重要性”

 

「叱ることへの否定」をテーマにした書籍にも良いものがあり、その正当性はここにある。個人的感情でやりすぎという批判をしているのものである。(叱る行為自体を全否定しているものもあるが、これはいただけない。)

叱るということは、即ち「部分否定」である。(部分否定と対比して「お前はダメな人間だ」というのは全否定である。)否定の生産性という面は非常に大きい。ダメなものはダメだからである。ダメな行為はダメだからである。

ダメなものを「いいね!」としてしまえば、混乱が広がるだけである。例えるなら、粗悪品を広めるインフルエンサーである。

「先生、もっときちんと叱ってください!」

という真っ当な心をもった生徒の叫びは、ここにある。

教師という仕事の中には、否定がある。

「お前はそうじゃないだろ!」

という愛に基づいた否定が必須である。

教師による全肯定は、犯罪である。

「2×3=5、いいね!近いからOK!」

という教師である。完全にダメである。相手の将来なぞ全く考えていない、ただの機嫌取りである。

2×3=6と教えるのが教師の仕事である。人を傷つけて喜ぶ誤った行為を否定するのが教師の仕事である。他人の犠牲の上に成り立った勝利について、競ってくれた、あるいは勝利を譲ってくれた相手に労いと感謝の言を述べられる人間にするのが教師の仕事である。下らない見栄やプライドをぺしゃんこに叩き潰して、謙虚で骨太で力強い人間を育てるのが教師の仕事である。

だから、怒る時は徹底的に怒る。叱ると怒るの区別もない。相手を本気で考えているかどうかである。(その言い方の調節は技術である。一般的にアウトな「ばかやろう!」が通じる関係性の相手であるかどうかは考慮の必要がある。ソフトで良さそうな言葉でも関係性が違えばアウトになる。)

つまりは好きでない人は、怒っちゃあかんのである。

好きでない人を怒ると、ろくな目に遭わない。好きな相手、愛をもてる相手だったら、その結果をお互いに受け止められる。

愛があるから、叱るのだ。

好きな相手なら、自分の利益を度外視して、ずばり叱って、怒るべきである。

私は、一年生を担任している。本当に、もれなく、みんな可愛い。大人しい子、よく従ってついてきてくれる子、難しい子、やんちゃな子。全員可愛い。

絶対に道を外させまいと、真剣に考えている。だから、遠慮なく叱るし怒る。そして、改善したら滅茶苦茶嬉しいから、相好を崩して褒めまくってしまう。

真剣に教育を考えている者であれば、皆デフォルトの姿勢であると考える次第である。

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