近代を準備していたのは昌平坂学問所である
歴史学者の奈良勝司が『明治維新と世界認識体系』(有志社、2010年)で書いているところでは、江戸時代の官立最高学府であった昌平坂学問所で正統の朱子学を身につけた徳川幕府のエリート官僚の中にこそ「近代性」が宿っていて、朱子学主導の近代化の可能性が存在した。
「これまで近世後期~幕末の儒学に関しては、時代を動かした国学などと比べ、保守的な体制教学であり前近代的な封建思想であったとする理解が一般的であった。この丸山眞男以来の大前提のもと、研究の多くは……その前近代性の克服に重点が置かれてきた。しかしながら、近年では当時の儒者の『意外な開明性』にも光が当たるようになり、こうした流れは変わりつつある」(奈良)。丸山的解釈は「後付けの結果論」で、もっともらしく自説を理屈づけようとしたに過ぎない。
丸山の学説のそこかしこに、このような一知半解というか勉強不足というか、自分の思い込みに合致する事実や人物を点と点で取り出して八艘とびのように繋いで独特の「物語」を作り出してしまう悪しき器用さがあり、根強い丸山ファンにはそこが面白くて仕方がないのかもしれないが、私は生意気にも、学生時代に彼の代表作を2~3冊を読んですぐに「この饒舌に任せた知的アクロバットは危なっかしいな」と感じ、以来この人を関心外に置いてきたので、関や奈良の丸山批判には心から同意する。
吉田松陰が「一君万民平等」と言ったのは、天皇のためには貴賤尊卑にかかわらず誰もが等しく命を捨てて仕えるべきであるという「臣民」としての覚悟を求めたのであって、ここの「万民平等」という語が用いられているからといってそれを福沢の近代的な天賦人権説に接続するというのは、噴飯物の誤りである。
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