11月のアメリカ大統領選挙に向け、異例の6月下旬に行われたバイデン大統領とトランプ前大統領のテレビ討論会。結果はバイデンの惨敗となり、その耄碌ぶりにアメリカ国内はもちろん世界中が衝撃を受けた。だが、それでも米民主党がバイデンを“隠居”させるのは簡単ではない。動き始めた「バイデンおろし」の複雑な連立方程式について、米国在住作家の冷泉彰彦氏が詳しく解説する。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より)
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:米大統領選、仕切り直しの可能性
極めて異例だった「6月のテレビ討論会」
アメリカの大統領選挙の日程には、明確な順序というものがあります。
まず、予備選が行われます。民主・共和両党が候補者を一人に絞るために、各州を回って一種の地方巡業を行うわけです。選挙の年の1月から6月にかけて予備選は行われて、両党内での代議員を奪い合い、やがて過半数を獲得した候補が出ると、そこで予備選は事実上終了となります。
その上で、7月から8月には党大会が行われます。この時までに既に候補が絞り込まれている場合は、党大会の代表候補選出プロセスはセレモニー的になり、党大会は候補選出の場というより、本選への総決起大会になります。そして、両党が党大会を終えると、両党の統一候補同士による「一騎打ち」すなわち本選が始まります。
この本選の中で最も重要と言われているのが、TV討論です。近年は、このTV討論は9月から10月に計3回行われ、これに加えて副大統領候補同士によるTV討論も1回行われるというのが、お決まりのフォーマットとなっていました。
ところが、今回、2024年の大統領選においては、6月27日という極めて早い時期にTV討論が設定されました。これは極めて異例のことです。どうしてこんな早期にTV討論が開催されたのかというのは、実はよく分かっていません。
判明しているのは、両陣営があっさり合意したということです。ですが、どうして簡単に合意したのかというのは、謎といえば謎です。
トランプ、バイデン両候補に「止むに止まれぬ事情」
大局的な観点から見れば、この判断には合理性はあります。
まず、大きな要素としては、4月以前の時点でトランプ、バイデンの両候補が共和党と民主党の代議員の過半数を抑えてしまっており、統一候補としての資格を確立しているということがあります。つまり、もう党内の争いは完全に終わってしまっているので、本選として一騎打ちの闘いをするのは当然ということになります。
そうであるのなら早期にTV討論を行うのは、本選を実際に進めることになるし、有権者のためにもなる、そんな理屈であれば筋は通ります。党大会を経ていない時点ではありますが、代議員数で過半数を獲得している両人の資格を疑うことはできない以上、本選を繰り上げて戦うことには理屈が通るというわけです。
但し、これには裏の意味があるという声も非公式ではありますが、囁かれていました。
まず、トランプの側ですが、NY州の裁判所において不倫口止め事件に関する有罪判決があり、既にトランプは刑事被告人ではなく刑事犯として量刑を待つ身になっています。これは決して無視できる問題ではありません。トランプ陣営としては、この問題のダメージを最小限とすることが課題となっています。つまり、有権者、特に無党派中間層や、共和党の穏健派が離反するのを防止したいわけです。
その場合に、トランプの周囲としては、有罪判決が過去形になる、つまり世論が忘れるのを待つという選択肢はありませんでした。というのは、この後、量刑が出てくるわけですし、そこで短期間でも禁錮刑や社会奉仕などが発生すれば、イメージは更に悪化するからです。
ですから、この期間、つまり有罪にはなったが量刑は出ていないという期間に、政治的攻勢を積極的にかけるのが良いという判断があったのかもしれません。また、トランプに距離を置く共和党の穏健なグループとしても、有罪判決の影響を早く見ておきたいという動機はあったと思います。
バイデン大統領の惨敗は「予想通りの想定内」だった
一方で、民主党の場合は、やはり高齢であるバイデン大統領の健康問題が懸念されます。
その懸念を払拭するには、早期のTV討論を受けて立って、問題のないことをアピールすることは必要でした。例えばですが、3月7日の一般教書演説のように元気な姿を見せれば、一気に選挙戦の勢いが出るという思いはあったと思います。
つまり、民主、共和両党のどちらの側も、党大会の前にTV討論など様々な選挙戦の活動をスタートさせてしまうことには合理性はあったのでした。
仮にトランプの有罪判決の影響が大きければ、大物政治家を副大統領候補に据えるなどの対策が必要だし、また日程の順番からすると、そうした対策を取ることができます。
仮にバイデンの健康懸念が顕著になったとして、その場合も党大会前であれば、大きな変更も可能という計算はあったと思います。バイデンの周囲も、民主党の議会幹部の間でも、そのような計算はされていたはずです。
そんなわけで、誰もがハッキリと口には出していなかったものの、今回の「党大会前のTV討論」実施があっさり合意された背景には、「何かあれば修正」ということが漠然と計算されていたように思われます。
そして、実際のTV討論は、当にそのような修正が「必要」だということを明確にしてしまったのでした。
とにかく、バイデン大統領は全く精彩を欠いていました。顔色は悪く、蒼白という形容そのものでしたし、声はしゃがれていて、しかも弱々しく不明瞭でした。
そのくせ、物凄く「予習」をしてきたようで、決められたセリフは言わないといけないような強迫観念があるのか、言葉を早口で詰め込もうとするのですが、それも上手く伝わらない、そんな感じでした。
また、緊張というよりも疲労のためか、言い淀みや沈黙があったり、辻褄の合わない部分もあるなど、想定された幅の中ではほぼ最悪の内容であったと思います。
“独裁者”が「きれいなトランプ」を演じた理由
一方でトランプの方は、快調に毒舌を展開して行ったかというと、彼も決して絶好調ではなかったように見受けられました。具体的には、2つ指摘ができます。
1つは、バイデンが余りにも不調であった中で、「手負いの敵を深追いする」ことは全くしなかったということです。「バイデンは大丈夫か?」というような、いかにも「いたずらなトランプ」といった表情で「面白がっていた」シーンは数多く見られました。
ですが、トランプは発言としてバイデンの健康問題を突くことは限られていました。
それは、武士の情けをかけたというのではないように見えました。そうではなくて、トランプもまた、陣営が詰め込んで「予習」させた「内容」を消化するのに精一杯ということだったのだと思います。
もう1つは、トランプの主張が意外と「穏健派」向けのバージョンだったということです。
中絶問題にしても、コロナ問題、ロシア問題など、通常の「ラリー形式の演説会」では無茶苦茶な内容を喋っているトランプですが、このTV討論での発言には一定の抑制が見られました。
この「穏健バージョン」ですが、1期目の政権当時にも見られた現象です。つまり、共和党のクラシックな支持者の考え方から、大きく逸脱が見られた場合には、それを修正するかのような「割合とまとも」な演説をすることが多くあったのでした。
今回もそれと同じで、とにかく無党派中間層や、共和党の穏健派の支持を取り込むのに必死という感じでした。
ただ、全体的に8年前とか4年前と比較すると、アッケラカンとまとめるテクニックはやや鈍っているようで、とにかく「言われたこと」「練習してきたこと」を詰め込んで話すのが精一杯という感じがありました。もっとも、今回は相手が喋っている時間帯はマイクがオフになっているということで、臨機応変な「ツッコミ」ができなかったということはあると思います。
ですが、トランプ節ということでは、かなり抑制があり、悪く言えば不調、よく言えば常識的という内容であったと思います。その意味合いについてですが、この人の一挙手一投足について、あまり大真面目に受け取るのは適切ではないのかもしれません。ですが、とりあえず、現時点では「選挙に勝つためには中間層や穏健派を取り込むのが最大のテーマ」ということを理解して実行しているのは間違いないと思います。
では、この延長で2期目のトランプ政権の内容も「常識的な共和党政権」になるかというと、そこは分かりません。ですが、今の時点では、相当なカネとブレーンが入っており、とにかく「勝つため」に多くのリソースが投入されているのは間違いないようです。その上で、有罪判決など「負の部分」に対して懐疑的な穏健派への「説得」あるいは「トランプ支持への一本化」が最大の課題となっているのだと思います。
バイデンを“隠居”させるのは「そう簡単ではない」
さて、問題は民主党の側です。TV討論から一度の週末を挟んで色々な議論がされていますが、とにかく「バイデン大統領の健康状態には疑問がある」ということは、今回のTV映像で明らかとなってしまいました。
例えば、6月12日から15日に行われたイタリアでのG7サミットでは、バイデンは首脳夕食会を欠席しています。その時は、高齢なので仕方がないのかもしれないという印象でしたが、もしかすると「異変」は始まっていたのかもしれません。
それはともかく、この週末には様々な論説や憶測が飛び交うことになりました。特にNYタイムスの論説委員会が「バイデンに撤退を勧告」したという記事は、かなり話題になっています。そのうえで、新しい週が開けました。週明けの論調もバイデンにはかなり厳しいトーンとなっています。
CNNがネットメディアの「NEWGOV」と行った世論調査では、「バイデンは大統領にふさわしい認知能力がある」という問いに「YES」と答えた人は28%。つまり72%が不適格としているという内容でした。
一方で、バイデン家からは「家族はあくまで選挙戦の続行を望んでいる」というような情報が流れています。またバイデンの家族はキャンプデービットに集結して、今後の選挙戦をどうするか話し合っているという報道もありました。
その延長で、週明けには「バイデンの選挙運動続行の黒幕はジル夫人」というような、夫人を悪者にするような報道も散見されるようになっています。
そんな中で、バイデンの選対はこれからどんな判断をしてゆくのか、そして民主党はどうやって大統領選を戦うのか、これは大きな問題になっています。
現時点での報道のトーンを総合するのであれば、このままバイデンが選挙戦にとどまるというのは難しそうな雰囲気です。ですが、現時点で申し上げられるのは「問題はそう簡単ではない」ということです。
米民主党が直面する「バイデンおろし」の複雑な連立方程式
ここからは、「バイデンおろし」に関するアメリカ民主党の複雑な連立方程式について、確認しておきたいと思います。
(1)バイデンは既に予備選のプロセスで過半数を超える代議員数を獲得している。予備選は「私的な政党の私的な行事」ではなく、各州の公職選挙法に規定された手続きとして行われており、簡単にその結果を無効にはできない。
(2)従って、バイデンが統一候補から降りるには、自らが辞退する必要がある。
(3)仮にバイデンが辞退した場合には、降りる条件としてバイデンが後継者指名できるという説があるが、法的根拠はない。その場合は、バイデンはハリスを指名するだろうが、バイデンが指名しても自動的にはハリスが候補にはならない。
(4)その場合には、1968年の前例(現職ジョンソンが辞退、最有力のRFKが暗殺)に即して、党大会の場で「ガチンコ」で代議員が新しい統一大統領候補を指名することになる。
(5)一方で、党大会の一発勝負では危険なので(68年には結局、無難なハンフリーを選んで負けている)予備選をやり直せという声もある。更に、再度予備選をやれば党内対立が生じて大混乱に陥って、結局は共和党を利するだけという声もある。
(6)ハリスを後継にするのには、彼女が一般的に不人気だという説がある。これは、副大統領として功績が少ないこと、人権の闘士で極左の危険人物というレッテル貼りを保守派がねちっこく続けていること、人権派だが市場主義者なので左派の支持が弱いこと、などの要素が重なっているためと考えられる。南部国境の難民問題に失敗したという評価もあるが、実はホンジュランス発の難民問題については彼女は解決に成功しているのだが、一般にはその評価は浸透していない。
(7)ハリスのもう一つの問題は、バイデンと同様に「左派と穏健派の主張を丸呑み」できるかであり、別の言い方をするのであれば「左派と穏健派の双方から積極的な支持を得られるのか」である。現時点では、彼女の言動からは、そのことが大切だという気付きの兆候はない。
(8)その他に「候補」として名前の挙がっているグレッチェン・ホイットマー(ミシガン州知事)、ピート・ブティジェージ(運輸長官)、ギャビン・ニューサム(加州知事)については、全くの未知数。特に3人共に、バイデン、ハリスを差し置いて「上を目指す」気配は、少なくとも2024年に関しては「微塵も見せたくない」というのが現時点。
(9)いわゆる「キングメーカー」として、調整を行うとしたら、バラク・オバマ、あるいはクリントン夫妻などが乗り出すことになるであろうが、まだその動きの兆候は出ていない。
米大統領選は、あと1ヶ月半で「歴史的な仕切り直し」へ
いずれにしても、民主党の党大会は8月19日から22日の日程でシカゴで行われます。現在の民主党はホワイトハウスの主、つまり与党であることから、伝統に則って野党の共和党が先に党大会(7月15日から19日、ウィスコンシン州ミルウォーキー)を行い、その約1ヶ月後に民主党大会ということになります。
ということは、まだ1ヶ月半という時間はあるわけですが、裏返せば1ヶ月半しかないということにもなります。この間に、民主党内でどのような動きが展開されてゆくのか、歴史的なドラマが生まれるのは不可避であるようです。
一方で本稿の時点では、連邦最高裁がトランプの一期目の在任期間中に発生した様々な事件について「免責特権」が「ある程度考慮される」という憲法判断を下しました。この判決によって、例えば議会暴動の扇動などが全て免責されるわけではありませんが、同事件に関する審理が下級審に送られるなどトランプには有利な状況が出てくることになるようです。
TV討論で健康不安を全米に見せつけてしまったバイデン、一方で穏健派向けのアピールをしつつ、最高裁判決も追い風としているトランプ、この両者の明暗は現時点ではかなり明瞭になっています。
民主党に残されたチョイスは、ハリス後継を軸に団結するか、第三の候補を立てることですが、その動きが顕在化するにはもう少し時間を要するというのが最新の時点での動向と思われます。
※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2024年7月2日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。「経団連の思考停止を問う」「今上天皇のガーター騎士団加盟について考える」もすぐ読めます
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