TCP/IPパケットの場合は、送るべきデータに加えて、行き先を指定するIPアドレスが付いていて、それぞれのサーバーは、そのIPアドレスが自分に割り当てられたIPアドレスに一致するパケットのみを処理するように出来ています(全ての機器がルーターを介さずにつながっているLANの場合)。
ホルモンの場合は、そのIPアドレスに相当するのが、タンパク質であるホルモンの物理的形状なのです。
タンパク質は折り畳まれた一連のアミノ酸から構成されており、その形状は千差万別です。千差万別とは言え、その形状は、アミノ酸の配列から一意に決めるため(あらかじめ、折り目がついた折り紙を想像してください)、同じアミノ酸列を持つタンパク質の形状は、全て同じです。AlphaFoldが解決した、「タンパク質の折りたたみ問題」とは、この形状をアミノ酸配列から予想する問題です。
タンパク質は、自分の形状と凹凸が一致し、かつ、化学的性質(水素結合、イオン結合、疎水性相互作用など)が一致するタンパク質と結合しやすい性質を持ちます。これを利用して、特定のホルモンの存在を知りたい臓器(例えば、GLP-1が血液中にあることを知りたい膵臓)は、そのホルモンと結合しやすい形状をもつタンパク質を受け口(「受容体」と呼ばれます)として持ち、その結合が起こった場合にのみ特定の処理をする(膵臓が持つGLP-1の受容体の場合は、インスリンを生産する)のです。
科学者の間ではGLP-1の働きは良く知られていましたが、GLP-1そのものを投与してもすぐに破壊されてしまうため、医薬品としては役に立ちませんでした。Novo Nordiskは、(脾臓の受容体が勘違いしてしまうぐらい)形状GLP-1と似ていながら、簡単には分解されない物質(Semaglutide)を作り出すことにより、医薬会社として大成功を収めたのです。
Semaglutideのように、実際のホルモンと同様の形状を持っていて受容体を作用させる力を持つ薬のことを「受容体作動薬(受容体アゴニスト)」と呼びますが、今では、多くの医薬品が受容体作動薬なのです(逆に、受容体の作動を妨げる働きをする医薬品、受容体拮抗薬もあります)。受容体の医薬品によるコントロールは、現代の医学や新薬の開発にとってとても重要な課題なのです。
Novo NordiskがSemaglutideを作った時代には、AlphaFoldが存在していなかったため、多大な試行錯誤が必要でした。しかし、AlphaFoldを使うことにより、今後、「受容体作動薬」および「受容体拮抗薬」の開発が大幅に加速する可能性が出てきたのです。
DeepMindがAlphaFoldについてNatureに2021年に発表した論文(「Highly accurate protein structure prediction with AlphaFold」)は、2万以上の学術論文から引用されて、「最も引用された論文500」に入るぐらい、AlphaFoldが医学の進歩に与える影響は、多大なのです。
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