さっそく、気になるポイントを赤ペンチェックしてみましょう。
心と呼ばれているものは実は行動のパターンのことであると彼(哲学者ギルバート・ライル)は指摘する。「優しい」という概念は概念として可能かもしれないが、それが存在する時には必ず優しいと呼ばれる行動パターンを取って現れる。心の実態は行動、ないしは潜在的な行動である可能性がある
剣道で面を打つ、野球でボールを打てるのは、体が先で意志が後だからなのだ
リベットはFree Will(自由意志)は否定したが、Free Won’t(自由否定)は否定していない。つまり、何かを行わない自由は人間にはあるというのだ
簡単にまとめるならば、意識よりも勘が早く、勘よりも行動が早く、行動よりも精神性発汗つまり身体が早く危険に気がついていたのである
意識は万物にある
人間の行動は事前に決まっており、環境、世界がそれを規定するのである
意志、意識レベルでは別れるべきだと切実に実感していても、その意志では行動が変えられない。人間の行動は環境との相互作用で全て事前に確定しているためだ。意志には行動を変える力がないのだ
海産物を多く摂取する国では、殺人事件の件数が少なく抑えられることがわかっている
自分の意志といえるのかわからないほど、人間は不意に行動を起こし、その罪に怯える存在なのである
我々は真実の世界と思われる物理世界を、五感という五つの窓を通してしか見ることができない
現在は、宗教は世界中で紛争を生んでおり、その機能が限界を迎えている可能性が指摘されている。つまり、人類の集団規模が、宗教でまとめられるサイズを大きく超えてしまったのではないか? という指摘である
見た目が異なればそれを取り巻く環境からの刺激は当然異なるということだ。美しい外見を持っていない人間は、イケメンが外界から得る刺激を実際には体験できない。(中略)外的な刺激が全く異なる非モテの人間が、どんなにモテる人の行為を否定し、避難したとしても、ある種の無責任さがある
意識が情報であるならば、それを保持するのは脳でなくとも構わない、電子回路でもよいのだ
意識とは情報であり、生命とはその情報を増やすために配置された「なにがしか」(存在)である
個人的には、まったくトンデモ本とは思わず、興味深い論考だと思いました。
オビにある「あなたが本書を手にすることは、138億年前から決まっていた。」は、流石にどうかと思いましたが、ある程度未来が決まっているというのは、その通りな気がします。
とはいえ、単なる運命論で、人の努力を否定しているわけではなく、いくばくかの希望を残してくれているのが、本書の素晴らしいところ。
ぜひ読んでみてください。
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