2006年夏に「ハンカチ王子」として甲子園を沸かせた斎藤佑樹選手。早稲田実業を日本一に導いた彼が、名門に入ってからのエピソードを無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』で紹介しています。
ハンカチ王子・斎藤佑樹はいかにして甲子園優勝を達成したのか
いよいよ開幕した夏の甲子園。今年はどのような熱戦が見られるのでしょうか、またどの高校が栄冠を手にするのでしょうか。目が離せません。
そこで本日は、2006年夏の甲子園でエースとして早稲田実業を初の日本一に導き、「ハンカチ王子」の愛称で一躍脚光を浴びた斎藤佑樹さんの記事を一部をご紹介します。
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<斎藤>
「俺は、野球は教えないよ」
入部後すぐに、和泉実監督はこう言われました。名門に入部したことで心躍らせていた僕にとって、それはまさに衝撃でした。
「自分たちでよく考えなさい」
単に与えられた練習をこなすのではなく、練習の方法や意味、目標設定を自ら考えなければ身につかない。主体的に取り組む大切さをはっきりと自覚したものです。
当時の早稲田実業は10年間甲子園を逃していたため、部内では甲子園出場が目標になっていました。しかし、それでは優勝はおろか、出場さえ叶わないのではないか。
思い悩んでいた時に脳裏を過ったのは、「プロ野球選手になりたいなら、メジャーリーガーを目指しなさい」という父の言葉でした。
甲子園に出場するために、より高い目標を掲げて練習しよう。そう覚悟を決め、優勝に欠かせない145キロ超えのストレートを投げるという具体的な目標に向かい、一所懸命取り組んだのです。
毎日の練習に精を出すことはもちろん、筋肉量を高めるべく、自主的にトレーニングジムに通い詰めました。次の日まともに歩けなくなるほど過酷なものでしたが、週3回欠かさず続け、自分を追い込んだことは、より速い球を投げるために欠かせない身体づくりと自信に繋がりました。
また、和泉監督は細かい点を指示されませんから、常に選手同士で考え、話し合う他ありませんでした。
3年で副キャプテンを任された際も率先垂範でチームの指揮を執り、練習やマウンド上で都度コミュニケーションを図ることで、甲子園優勝という目標に向かい、努力を厭わないチーム風土が育まれていったように思います。
こうした地道な積み重ねとメンバーに恵まれた結果、3年生時の2006年には春・夏共に甲子園出場。夏の甲子園決勝では延長15回でも決着がつかず、再試合となった駒大苫小牧高との激戦をチーム一丸で制し、初の甲子園優勝を成し遂げることができました。
※本記事は月刊『致知』2024年8月号 連載「二十代をどう生きるか」より一部抜粋・編集したものです。
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