そもそも、ウクライナ戦争を理由に、ロシアの参加を認めなかった時点で、IOCは、古代ギリシャにおける「平和の祭典」というオリンピック本来の精神を踏みにじっています。
それはまた、近代オリンピックを立ち上げたクーベルタン男爵の掲げた理想をも裏切るものです。
古代ギリシャにおいては、たとえ戦争中で、ポリスどうしが矛を交えていても、オリンピックの期間は停戦を守り、互いが武器を置いて、競技に参加していたのです。
聖なる祭典に、世俗の対立を持ち込むことは、罰当(ばちあ)たりな涜神(とくしん)行為だったからです。
現代オリンピックの実情をよく見れば、政治と無縁ではありませんし、金儲けの道具と化していることも否定のしようがありません。
真夏の炎天下で過酷なレースを選手に強制する段階で、オリンピックという見世物はスポーツの精神よりも、放送権収益などの「経済的諸事情」を優先しているのです。
しかし、1964年の東京大会では、10月というベストシーズンに競技が行われました。
10月10日、前日までの嵐が嘘のように、神宮外苑の上空には、澄み切った美しい青空が広がっていました。
あの頃はまだ、金儲けよりも、夢や理想が優先されていたのです。
もっと素朴に、スポーツの愛好家に向けて、金のかからないオリンピックを実施することはできないのでしょうか?
大切なことはそのスポーツを愛しているかどうかです。
そもそも、スポーツは自由の産物、他人から強制されるものではありません。
強制された奴隷が「コロシアムで殺し合う」ような野蛮なことは、古代ローマの見世物までで充分です。
スポーツは「遊び」の延長。
純粋な童心から生まれたものであるが故に、オリュンポスの神々もこれを喜び祝福し給(たも)うたのではないでしょうか。
競技の好きな者どうしが集まって、童心に帰り、無邪気に楽しめば、それで良いのです。
まだまだ猛暑は続きますが、オリンピックは泣いても笑っても、4日を残すばかりになりました。
ただ、ここ日本では、この後、甲子園の熱戦が佳境に入ってまいります。
まだまだ、悪女の深情けのように、スポーツの熱い夏は続くのです。
炎天下で闘う方々は言うまでもありませんが、観戦席で応援を送る側の皆様も、くれぐれも健康状態には留意して、無理を避けましょう。
たとえテレビ観戦であっても、長時間座ったままでいたり、定期的な水分補給を忘れてしまうと、これはもう命取りです。
盛夏を乗り越え、実り豊かな秋を迎えるためにも、睡眠を充分に取り、何かにつけて余裕のある生活を心がけましょう。
(メルマガ『富田隆のお気楽心理学』8月8日配信号より一部抜粋。他のコンテンツもお読みになりたい方はご登録ください。初月無料です)
この記事の著者・富田隆さんのメルマガ
image by: ProPhoto1234 / Shutterstock.com









