かつてはトヨタも持ち合わせていた「良識」
たとえばあのトヨタも、かつてはそうでした。
終戦後の10年間というのは、労働運動が非常に激しく、トヨタでも、1950年には、2か月に渡るストライキも決行されました。
が、1962年、トヨタの労働組合と経営側により「労使宣言」が採択され、トヨタの労使は「相互信頼を基盤とし、生産性の向上を通じて企業繁栄と労働条件の維持改善を図る」ということになったのです。
つまりは、トヨタの労働組合は、経営との協調路線を採ることになったのです。
これは、戦後の日本企業を象徴するようなものだといえます。
以降、トヨタの労働組合は、ストどころか、団体交渉さえ行なったことがなく、賃金、労働条件などすべての労働問題は、労使協議会で行われています。
これは雇用や賃金をトヨタがしっかり守る姿勢を見せたので、従業員側も歩み寄ったということです。
このトヨタの労使協調路線は、高度成長期の日本の労使関係のモデルにもなったほどです。
こういう企業側の努力があって、日本の高度成長はもたらされたのです。
この当時の経済政策が「所得」をターゲットにしたのは、確かに的を射ていました。
国民の収入が増えれば、消費も増えます。
消費の拡大がまた経済成長につながるのです。
つまり、まず所得を増やし、それを牽引車にして、経済を成長させる、という考え方です。
「トリクルダウン」が崩してしまった好循環
一方、バブル崩壊以降の日本の経済政策は、「トリクルダウン」を目指したものであり、「所得倍増計画」の真逆を行っていました。
トリクルダウンとは、「富める者がより富めば貧しいものも富むようになる」という理論です。
大企業や富裕層が潤えばそれは社会全体に波及する、つまり山の頂に水を流せば、やがてふもとまで流れていくという発想です。
このメルマガでも何度も指摘した、大企業や富裕層ばかりを優遇する政策は、この考え方によるものです。
この理論は、ソ連、東ヨーロッパの共産主義国が崩壊したころから、幅を利かせるようになったものです。
1990年代、共産主義国が次々と倒れるのを見て「金持ちを優遇することこそが、経済を成長させる唯一の道」という極端な方向に振れてしまったのです。
しかし、そもそも、共産主義というのは、資本主義がおざなりにしてきた貧困問題が発端となって、広まったものです。
そして共産主義が崩壊したのは、皆が平等だったからではなく、むしろ「隠れた特権階級」が生じたことが要因なのです。
そこを丁寧に分析することなく、「共産主義がダメだったんだから富裕主義(トリクルダウン)を取ればいい」というような雑な方法を採ってしまったのです。
このトリクルダウンの理論により、バブル崩壊後の日本では、大企業や富裕層が優遇されるようになりました。
「企業の業績を上げることで、経済をよくしていこう」
「富裕層が潤うことで国全体を豊かにしよう」
という経済思想になったのです。
そのため政府は、派遣社員の範囲を広げたり、企業が残業手当をあまり払わないでいいような法改正をたびたび行なったのです。
企業は業績向上のために平気でリストラを行うようになりましたが、政府はそれを黙認しました。
また企業は業績が向上しても、社員の給料を上げないようになりました。
それは、高度成長期以来の日本の雇用政策を大きく変革するものでした。
「正規雇用を大事にし、出来る限り賃上げを行なう」という日本型雇用を崩してしまったのです。
「トリクルダウン」は、国民の所得が増えれば消費も増え景気もよくなるという好循環を崩してしまったのです。
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