9.11でWTCから生還した日本人金融マンが語る「紙一重の脱出劇」日本も他人事ではないテロ・災害避難の教訓として

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2001年9月11日8時46分(日本時間21時46分)、アメリカ同時多発テロ事件が発生。ハイジャックした旅客機をNYの世界貿易センター(WTC)に突入させた自爆テロは世界を震え上がらせた。9時3分(22時3分)に2機目が激突する瞬間をテレビの生中継で目撃して眠れなかった読者も多いだろう。あのとき、崩落しつつあるWTCの内部ではどんな情報が飛びかい、人々は何を拠りどころに状況を判断したのだろうか。本稿では、現地でテロに遭遇しビルから脱出したエコノミストの斎藤満氏が、予期せぬ危機から避難するうえで何が重要だったかを振り返る。(メルマガ『マンさんの経済あらかると』より)
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:「9.11」から23年、その教訓は

プロフィール斎藤満さいとう・みつる
1951年、東京生まれ。グローバル・エコノミスト。一橋大学卒業後、三和銀行に入行。資金為替部時代にニューヨークへ赴任、シニアエコノミストとしてワシントンの動き、とくにFRBの金融政策を探る。その後、三和銀行資金為替部チーフエコノミスト、三和証券調査部長、UFJつばさ証券投資調査部長・チーフエコノミスト、東海東京証券チーフエコノミストを経て2014年6月より独立して現職。為替や金利が動く裏で何が起こっているかを分析している。

アメリカ同時多発テロ事件の“生き残り”として伝えたいこと

(※メルマガ2024年9月11日号より)
今日で「9.11」から23年になります。当時WTCにいて同時テロの直撃を受け、生き残ったものの1人として、予期せぬテロ、災害に対して、避難するうえで何が重要だったか、この一件から考えてみたいと思います。

特に年間3000万人を超える外国人訪問者を受け入れる日本で、まさかの大災害が起きた時、日本語が不自由な人々に対応する手立てに供すれば幸甚です。

突然の大音響と「建物内のほうが安全」の英語アナウンス

まず情報の重要性があります。23年前の今日、私は3WTCの6階にいて、最初の突撃を受けたのですが、いったい何が起きているのか全く分かりませんでした。

頭上で大きな音がして部屋が揺れたのですが、マンハッタンでは道路に大きな穴があって、ダンプが通ると大きな音を立てるので、あまり気にかけませんでした。ところが窓の外を見ると、黒い燃えカスのようなものが落ちてきて、これはおかしいと思いました。

しかし、館内放送は「隣の建物で起きたインシデントで、このビルは安全だ。外にでるとデブリ(落下物)で危ないから建物の中にいた方が安全だ」と言っていました。

英語を母国語としない者として、全身を耳にして聞き取ろうと必死でした。もし言われた通り部屋にとどまっていたら、約1時間後に南棟がつぶれた時に3WTCもつぶれたので、私は瓦礫の下に埋もれていました。

WTC南棟に「2機目」が突入する瞬間を目撃。全力で逃げるしかない

幸い、窓の外を見上げると、すぐ隣のビルの上の方で赤い火と煙が噴き出しているのが見え、ただ事でないことはわかり、直感的に隣のビルが折れて頭上に落ちてくる予感があり、パスポートと航空券をポケットに入れて部屋を出て、非常階段で1階まで下りました。

ロビーは消防や警察も来ていてごった返し、外への避難を促されたのですが、依然として何が起きたのか不明でした。

外は多くの人が燃え盛るビルを見ていて、話を聞くと、「クレイジーな奴が飛行機でビルに突っ込んだ。テロだ」と言います。

半信半疑で南棟の下に避難し、近くの店で水を買い求めて外に出て、公衆電話を探しているときに頭上で轟音がして、飛行機が南棟に突っ込むのを見てしまいました。この瞬間、私も含めて、あたりの人はあたかも戦場にいるような恐怖に襲われ、一斉に逃げ出しました。

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