臨機応変な危機対応と民間ボランティアの力、わが国も教訓に
慣れない地で避難を続ける中で助かったのは、危機時の臨機応変の対応でした。南棟前から走って逃げる際、ビルに入れといわれ、近くの見ず知らずのアパートに入れてもらいましたが、ほかの避難者とともに受け入れてくれました。ジムからタオルに水を浸して鼻に充てるよう、皆に配ってくれました。
スタッテン島には宿泊施設がないというので、コミューター電車に乗ってジャージーシティに向かいましたが、駅まで警察の犯人護送車のようないかつい車で送ってもらい、電車も切符を買わずに乗せてもらいました。
ジャージーシティではホテルが取れず、宿を探していると、教会が声をかけてくれましたが、避難民グループが日本人、欧州人、南米人とバラバラのため、キリスト教の教会はパスしました。結局、消防署で休ませてもらい、そこで宿の手配をしてもらった人、さらに近くの高校で泊まれると聞いてまたバスのようなもので送ってもらった人もいました。翌日ペンステーションまでの電車も無料で乗れるなど、臨機応変な危機対応に助けられました。
避難している間、日本の領事館を含め「日本」の存在は全く感じられませんでした。避難する先々でボランティアの人々がコーヒー、コーラにスナックなど軽食を用意してくれていて、消防署でもピザとコーヒーをいただきました。一晩過ごした高校ではプールで使うデッキチェアをベッド代わりに、あと毛布と避難袋をもらいました。中にはタオルと石鹸、聖書が入っていました。
とにかく、親切なニューヨーカーと現地のボランティアの人々に助けてもらい、なんとか帰国できました。
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あれから23年。観光やビジネスで日本に来ている日本語の不自由な外国人が、突然大災害にあう可能性はあります。特に一人で来ている人は不安がいっぱいのはず。彼らを不安にさせずにNYで私が受けたような支援をしてあげられるか、日本人の心意気が試されます。
※本記事は有料メルマガ『マンさんの経済あらかると』2024年9月11日号(「9.11」から23年、その教訓は)の抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。当月配信済みバックナンバー(高齢化社会日本に必要なこと/50年周期循環のピークが示唆するもの/財政危機逃れの金融抑圧に限界/テイラールールから見た金利の着地点/日銀に不都合な事実)もすぐに読めます。
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image by: Michael Foran, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons









