米大統領選は“歴史的大接戦”の前評判をよそに、蓋を開けてみればトランプ氏の圧勝で終わった。アメリカの有権者は何に怒り、何を期待してトランプ候補に一票を投じたのだろうか。物価・雇用・住宅の3点から詳細に分析すると、意外な事実が見えてきた。実はハリス候補の敗因となったこれらの問題はトランプ氏にも到底解決は不可能なのだ。いわばトランプ新大統領は「戦う前から負けている」状況と言える。米国在住作家の冷泉彰彦氏が詳しく解説する。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より)
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:トランプの勝因はそのまま弱点に
大方の予想を裏切り「早期決着」となった理由
それにしても、選挙全体が極めてスムーズに進行したこと、そして早期に結果が出たというのは意外でした。何よりも、今回の大統領選は、決戦州を中心に両陣営が拮抗していると伝えられていたからです。直前に共和党系の選挙アナリストであるカール・ローブ氏が指摘していたように、異常なまでの拮抗状態があり、それが長く続いていた点が珍しかった、そのように見られていたのは事実です。
ですから、相当に時間がかかるという見立てを多くのメディアは言っていました。例えば4年前の2020年の場合は、当確が出たのは投票日の4日後の土曜日でした。また、大昔になりますが、2000年の大統領選でブッシュとゴアが争った際には、フロリダを巡る戦いは12月に最高裁が判断するまで時間がかかったわけです。ですから、最低でも数日はかかると予想されていたのです。
にもかかわらず、結果的には当日の深夜から早朝で決着がついたわけで、これはサプライズでした。
これはやはり、各州の選管が頑張ったことが大きいと思います。例えばジョージア州では州法を改正して、期日前投票の集計を投票日前から実施して、即日開票にすぐに含めるようにした、これは効きました。
一方で、最も激戦が予想されたペンシルベニアでは、この種の法改正に失敗しており、期日前の投票の集計は投票日にならないとできないという法律に縛られていたのでした。ですが、選管は当日の朝7時から巨大なマシンを使って集計を開始して、即日開票に間に合わせました。当日深夜に当確が打てたのには、このペンシルベニアの選管の努力もあったのだと思います。
もう一つは、特に前回の2020年の選挙では、共和党サイドは郵送や期日前の投票に極めて懐疑的で、トランプは全部インチキだなどと言っていたわけです。ですが、今回は積極的に活用を推進したのでした。素直になったというよりも、とにかく積極的に集票できるツールだと判断したのだと思いますが、これが彼らに有利に働いただけでなく、当日の投票と併せて集計作業全体を前倒しすることで混乱を避けることに寄与したのでした。
共和党にとって画期的だったトランプの圧勝劇
以上はもちろんなのですが、とにかく意外な大差になったこと、何よりもこれが早期当確に至った主因でした。勿論、ほぼ集計の終わった現時点では、トランプ候補は決戦州で全勝しており大差での勝利となっています。ですが、それ以前の問題として、各州における差もかなり広がっていました。
決戦州の場合も、ペンシルベニア+1.9%、ミシガン+1.4%、ネバダ+3.1%、アリゾナ+5.7%、ジョージア+2.2%、ノースカロライナ+3.3%、という具合で、非常な大差になったと言えます。競っていたということではウィスコンシンが+0.8%でしたが、それでも2万9千票差ありました。
もっと顕著なのが、全国における総合計(ポピュラー・ボート=PV)です。
2024年:全体の投票率=65%(暫定値) トランプ 7千480万票(50.4%) ハリス 7千120万票(48.0%) 2020年:全体の投票率=66.6% バイデン 8千120万票(51.3%) トランプ 7千420万票(46.8%) 2016年:全体の投票率=60.1% クリントン6千580万票(48.2%) トランプ 6千300万票(46.1%)
民主党は2020年と比較して、大きく票を減らしました。一説によれば、2020年の場合にはコロナ禍の中で郵送投票が大きく推奨されて、通常は棄権に回る層まで票になったという解説があります。その真偽はともかく、共和党の場合は、21世紀に入ってのブッシュの2回、一期目のトランプが勝った際には、PVでは負けていたのですから、今回のPV圧勝は画期的とも言えます。
トランプ勝利の原因は経済、何よりも物価
何よりも、内政、とりわけ経済の問題が大きく勝敗を分けたと言えます。この点については、1992年の選挙で、ビル・クリントンが「冷戦勝利より経済が大事」と主張して勝ったケースに酷似しています。また、2008年の選挙におけるオバマの勝利も同様で、「反テロ戦争よりリーマン後の経済」を懸念する票を集めて勝ったとも言えるでしょう。
今回の場合は、物価、雇用、住宅の3点セットだと思います。これが大きな国民の関心事というよりも、困窮の原因となっているわけですが、この点をハリス候補は訴えることができませんでした。トランプ陣営にも具体的な対策があるわけではないのですが、とにかく現政権批判をすれば、ハリス氏は現職の副大統領ですから簡単に批判できてしまうわけです。そんな選挙戦では、民主党に勝ち目はなかったのだと言えます。
とにかく物価高への怨念が全国に渦巻いていたこと、この点を政権がしっかり認識して国民に説明することができなかった、これが一番の敗因だと思います。
今回のアメリカの物価高は、非常にタチが悪い現象です。とにかく多くの要因が複合しているからです。
まず、ウクライナ戦争を契機として原油価格が高止まりして、エネルギーのコストが上昇しました。その結果として、国土の広いアメリカの場合は運送費の高騰がダイレクトに価格に転嫁されています。特に、重くて安い商品ほどこの影響は大きく、ミネラルウォーターや炭酸飲料などはコロナ禍前の倍となっています。
また、スーパーの価格の中では、特に卵の値段が突出しています。コロナ禍前は、1ダース1ドル99とか、場合によっては1ドル前後だったのですが、現在は4ドルが最低で、NYの市内では8ドルとか10ドルになっています。これは輸送費の高騰に加えて、鳥インフルの問題があるのですが、バイデン政権は問題の所在も言わないし、解決に動く気配もありませんでした。アメリカ人は、特に朝食に卵料理を好むわけで、自宅でもダイナーなどの外食でも卵の高騰は顕著であり、これが静かな怒りとなっていたのですが、政権はこれに気づいていなかったのです。
この点では、トランプの側も卵高騰への怨念を利用することはありませんでした。物価の痛みを庶民感覚で理解するわけではなく、ただ、現職批判を繰り返せば票が自動的に入ってくるのですから、結果から見れば楽な選挙だったとも言えます。
物価高の要因ですが、更に人件費の高騰が値段に転嫁されていっています。輸送費にはトラック運転手の給与アップが、通販商品には配送コストのアップが上乗せされています。つまり、全国で最低賃金が上昇したことがダイレクトに価格に影響しているわけです。特に顕著なのは外食です。ファストフードも高くなっており、ランチを外で食べるとすぐに20ドルを超えてしまいます。まともなレストランのディナーだと、一人50ドルというのが最低かもしれません。
こうした状態は恒常化していますが、では全国的に「慣れてしまった」のかというと、全くそういうことはなく、スーパーのレジで、また外食の精算の際に、ほとんどのアメリカ人が静かに怒りをためていたのです。
雇用の痛みとはなにか
次に雇用に関してですが、数字的には悪くありません。今でも失業率は歴史的と言えるぐらい低いわけで、大都市では人手不足になっています。ですから、パートタイムの時給はアップした最低賃金の水準よりかなり上になっています。サービス産業の場合、例えば時給が20ドルで、年間2000時間働くと4万ドルになります。
ですが、前述した物価高、そして後に述べる住宅事情のために、年収4万では生活は成り立ちません。また、パートタイムの内容としては、機械化の進む中で、人間が機械に使われるような非人間的な職場も多くなっています。民主党左派のグループが、アマゾンの倉庫や配達における労働の質を問題にしたりしていますが、アマゾンだけでなく、ウーバーやドアダッシュの配達員、UPSやFedexのドライバー、そして多くの外食産業などの現場では、やはりストレスの高い労働が多くあります。
全く仕事がないわけではないが、不本意な仕事に就いて、将来への不安や現在のストレスに悩む若者は多いのです。アメリカの場合は、新卒一括採用というのはなく、多くの若者は大学で専攻した専門分野でフルタイムの職につくことを目指すのですが、実際にそのようなキャリア形成ができるまでには、時間がかかります。その間は、サービス産業で生活費を得るという人は多いのです。
トランプの場合は、そうした若者の苦労に寄り添うような人物ではないのですが、例えば「チップは非課税にしよう」というムチャなスローガンを言うだけで、集票ができてしまうような状況は確かにありました。
では、大卒のフルタイム職になれば、雇用が安定していて、トランプのレトリックには引き寄せられずに行くのかというとそうでもありません。というのは、シリコンバレーのテック系などを中心に大規模なリストラが進んでいるからです。シリコンバレーのリストラは一巡してはいるのですが、一時期のような好況ではありません。新規採用は非常に狭くなっています。
テック産業の問題ですが、一つは需要が一巡しているということがあります。スマホにしても、タブレットにしても、あるいはモニターやヘッドホンなどの周辺機器にしても、多くの消費者は満ち足りてしまっています。ですから、これを突き破る新しい商品サービスのブレイクスルーが必要なのです。
シリコンバレーとしては、この点で苦しんでいます。当面のテーマは、メタバースとAIですが、まずメタバースについては、アップルが参入したもののデバイスが高額に過ぎて不調です。先行していたメタは、サングラスで有名なレイバン社と提携して、メガネ型端末を出そうとしていますが、少し以前にグーグルが失敗したようにプライバシーやコンプラの問題に引っかかりそうで懸念があります。
一方で、AIについては、各社が実装に向かっていますが、そもそも事務仕事の軽減ツールとしてしか使途が考えられない中では、ニーズは限られます。その一方で、ChatGPTが最も最初に大きな規模で雇用を潰しているのは、実はテック業界だと言われています。言語は言語でも、コンピュータ言語、つまりコーディングの生産性向上ツールとして非常に使い勝手がいいので、こうしたAIが普及することで、最初にカットされるのが中級から初級のプログラマだという皮肉な状況があるというのです。
自動車や航空機などのエンジニアリング関連も構造的に難しい状況ですし、自動運転車やEVなども踊り場に来ています。そんな中で、若い人の間にも漠然とした雇用への不安が広がっています。こうした点については、民主党の動きは極めて鈍感であったと言わざるを得ません。就職に苦労してバーテンダーをしていたという、AOC(アレクサンドリア・オカシオコルテス)議員の話は有名ですが、彼女のような左派でもない限り、若者の雇用についてはほとんど関心を払っていなかったようです。
住宅がもたらす社会不安
高騰ということでは、家賃の上昇も非常に大きくなっています。これがホームレスの問題にリンクしています。ちなみに、ニューヨークの場合は、家賃が払えずにホームレスになるというケースは多くありません。まず、冬は厳しいので、簡易住宅などには住めません。また、定職についていれば、ある程度は公的扶助などがあり、定職があるが家を失うというケースは限定的です。
ですから、NYのホームレスはコロナ禍で刑期をカットされた元受刑者や、麻薬による患者などかなり問題を抱えたグループが多くなっています。問題を複雑にしているのは、南部から送り込まれる難民申請者がホームレスのシェルターを占有していることですが、ホームレスは管理を嫌うので、シェルターより路上に出てしまうというNYの事情があります。ちなみに、冬は寒いので彼らは地下鉄構内に入ってしまうわけで、これがコロナ禍以降の問題になっています。
厳しいのは西の方で、カリフォルニアやワシントンなどでは、まず中部から西部の保守州が「福祉コストの負担を拒否」して、ホームレスを太平洋岸に送り込んでくるという問題があります。また、特にサンフランシスコやLAでは、家賃の高騰によって住めなくなった人が、定職につきながら簡素な移動住宅に寝泊まりするような状況があり、改善されていません。
トランプは「不法移民を追放すれば住宅の需給関係が好転する」などと言っていますが、それはそう単純ではありません。この住宅問題に関しては、ハリス陣営のほうが公的資金を潤沢に投入して、全米にリーズナブルな住宅を提供するとしており、その予算のためには大増税が必要なぐらいの大きな構想を公約に掲げていたのでした。ですが、ハリス氏はこの住宅政策を最終段階の選挙戦では前面に出すことをしませんでした。これは戦術ミスとしか言いようがないと思います。
アメリカの格差の根源的問題
物価にしても、雇用、住宅にしても、とにかく有権者の苦しみの原因としては格差の問題があります。トランプ陣営は、格差を放置し富裕層には減税を与えるクラシックな共和党路線と、貧困層、現場労働者の怨念をすくい上げるイデオロギー運動を接続するというウルトラCを続けています。この無理な組み合わせがどういう展開を進むかは全く不透明ですが、とにかく、富裕層の代表であるにもかかわらず、格差の底辺を実感している層を取り込んでいるのは事実です。
一方で、民主党の側は結局のところ「持てる層」「意識の高い層」の代表という位置づけを脱することができませんでした。これが今回の選挙の本質的な敗因であると思います。バーニー・サンダース議員が「民主党が労働者を代表していない」と激しく追及していますが、確かにそのとおりです。またトランプ支持に回った多くの若者が「これでグローバリストをやっつけた」などと騒いでいますが、それも印象としては理解できます。
そこには根源的な問題が横たわっているのです。それは、アメリカは既に製造業依存を脱してしまったということです。現在のアメリカがGDPで世界一の座を維持しているのは、製造業を脱して知的産業主体の先進国経済を作り上げたからです。そして知的付加価値は簡単に国境を超えるので、アメリカは世界から人材が集まる場所となりつつ、アメリカ発の技術やカネが世界を回るようになっているのです。
日本の場合は、そこに英語か日本語かという言語のバリアがあるので、話は別になってきますが、アメリカの場合は言語のバリアはありません。そこにあるのは、知的付加価値の生産に関われるかそうではないかの格差なのです。これは残酷な問題ですが、どう考えても脱することのできない問題です。
文明も教育も言語も、アメリカはとにかく無理矢理にでも知的生産性を創造するような社会を作り上げてしまいました。そして、知的付加価値を作れる人と、そうでない人には巨大な生産性の格差があり、分配の格差もあるのです。これは、どう考えても変えることはできません。
問題は、民主党の側にそのパラドックスに関する自覚が足りないことです。
知的生産性「だけ」が評価されるアメリカ社会の行き着く先
人間の活動というのは多岐にわたります。対面でサービスを提供する人、単純な作業労働をする人、肉体労働をする人などもあります。ですが、そうした職種は、どんどん機械に置き換わります。ですから、発展途上の機械より「人間のほうがコストが安い」場合のみ人間の雇用が発生するわけです。最初から公平ではありません。
例えば日本のサービス業の場合は「おもてなし」カルチャーという不思議な伝統文化があって、悪く言えば「やりがい搾取」、良く言えば「ヒューマンなサービス提供が高いモラルを伴う」という現象があります。ですが、アメリカの場合はそうした文化はないので、サービス業への誇りや満足ということは個別の問題としてはあっても、全体としてはありません。
いずれにしても、この格差をもたらす全体構図について、共和党の側は詐術ともいうべきものの、論点をイデオロギー運動にズラす事で集票を狙い、見事に成果を挙げました。一方で、民主党にはそのような自覚はありませんでした。誰にでも機会が与えられる中では、競争社会を維持して能力を活用することが全体を豊かにするという思想しかなかったのです。
この思想、つまり社会が知的生産性「だけ」を評価するようになる中では、知的カルチャーと経済的成功という組み合わせが社会の中心になる、つまり国際性や多様性がカネの匂いをさせながら社会を支配してゆくということになります。その結果として多様性や環境や貧困(最低限の階層)の救済などリベラルな文化とカネというものが親和性を持って結合し、社会を支配してゆくわけです。
考えてみれば、これは何よりも「ビル・クリントン=トニー・ブレア」路線と言っていいでしょう。リベラルな考え方とカネを結びつけることで、知的生産性を支える文明とするわけで、本籍はリベラルだが、実際は極めて合理的に経済を支えるという考え方です。
英国では、この「第三の道」は、まずイラク戦争への反対によって否定され、次にはリベラルな保守党政権になったものの、EU脱退という形で、それも破壊されました。ですが、アメリカでは、オバマが実に巧妙に延命させて、裏ではリストラを激しく進めながら、多国籍なテック企業主導の経済と、リベラルなイデオロギーを結合させて8年を引っ張ったわけです。
ですが、今回のトランプ圧勝は、この組み合わせを壊してしまいました。ハリスという人は、客観的に見れば、悪い意味でのカネの匂いとは無縁ですし、経済政策は現実主義で中道です。イデオロギーについても、「思い切り左」ではありません。ですから、2025年以降のアメリカを回すうえで不適格ではないと思うのですが、とにかくこの組み合わせ、「カネとリベラリズム」というセットが、ここまで強く否定されてしまうと、政権はどうしても向こう側に行ってしまったわけです。
民主党がどのように党勢を立て直すのかは勿論、とにかく左派と穏健派の間で不毛な分裂抗争をしないことが大事です。原点としては、とにかく仕切り直しが必要です。この問題、つまり知的イデオロギー(国際、多様性、人権、環境、超弱者救済)と、知的生産性というカネを両輪とする政治運動という形では、もう大きな社会を回せないということにどう気づいて、どう対応するかにかかっているのだと思います。
困難はトランプも同じ
では、選挙に勝ったトランプの側が経済を改善できるのかというと、これは非常に難しいと考えられます。3つの問題が直ちに浮かび上がってくるからです。
1つ目は、タイミングと巡りあわせです。2016年の第一次トランプ政権発足の際には、何もしなくても景気も株価もピークへ向かってプラスの動きをしていました。何よりも、リーマン・ショックの傷の深い2009年に政権を継承したオバマは、良くも悪くも景気の足を引っ張らないということを基本に、8年を何とか完走したのでした。
雇用という面では、この8年は急速な自動化と空洞化の加速する8年でしたから、問題は山積しており、そのために茶会が暗躍したり、ヒラリーは落選したのです。ですが、とにかく企業業績を妨害しないオバマの8年は、ゆっくりと景気を改善させた8年でした。ですから、これを受け継いだトランプは、何もしないでもトランプ株高とトランプ景気を実現できたのです。
ところが、現在は全く状況が異なります。コロナ禍で知的産業は全く痛手を被りませんでした。リモート勤務が機能したからですが、その一方で全国にはカネがバラまかれました。知的産業と知的労働者はキャッシュを溜め込み、コロナの影響を受けた部分にはダイレクトにカネがまかれた中では、ポストコロナの時代にはカネが余り、バブルとなるのは不可避でした。
加熱した経済は物価を押し上げました。この物価に関しては、連銀のパウエル議長が瀬戸際の金利政策を続けています。つまり、景気の冷えそうな局面では金利を下げてアクセルを踏み、景気がオーバーヒートしそうになるとブレーキを踏む、つまり金利を下げないことで、「景気を失速スレスレまで抑制」しているのです。
現時点では、パウエル氏は「トランプでも自分をクビにはできない」と強い態度に出ています。これはトランプが景気を「良くする」方向に政策の舵を取ってしまうと、物価も上がってしまうからで、その匙加減は自分に任せて欲しいという意味です。いずれにしても、トランプは雇用を改善し、物価を下げることを民意から期待されていますが、これはほとんど不可能と言えます。タイミングが悪すぎるからです。
2番目の理由は、テック業界の不透明感です。前述したように、家庭用デバイスはスペックの上限に近づき、メタバースやAIの経済効果は今のところ試行錯誤です。EVも自動運転車も、何もかもが中途半端です。
例えばですが、レーガノミクスの軍事費拡張のように、軍拡に行くというのもあるかもしれませんが、トランプ主義とは相容れません。技術革新のサイクルが文明のレベルで壁に突き当たっているのは明らかで、簡単にこの問題はプラスに転じることはできないと思います。
3番目の理由は、「アメリカ・ファースト」理論の難しさです。日本の場合は、多国籍企業、つまりメーカーや商社がほとんど無限に産業空洞化を進めていますから、少しでも「自国のGDP」を意識した政策に気づけば、国内経済は改善します。ですが、アメリカの場合は、関税を上げても製造業回帰とはならないと思います。
例えば、中国からの輸入に倍額の関税をかけるとして、スマホの製造を強引に国内に移転したら、テスラのようにロボット工場ができるだけです。自動車のEV化を否定して、ガソリン車を継続するとしても、エンジン組み立てという工程は、中国が「世界の工場」になっている事実は否定できません。これをアメリカに戻すのは難しいですし、そもそもトランプに投票した人の中にエンジン工場で働きたいという人は、ほとんどいないと思います。
更に中国製品に関税をかけた場合に、生活用品、家電製品、雑貨類などの軽工業がアメリカに戻って来るとも思えません。結果的に、関税の分だけ物価が上がってしまうわけで、こちらも難しいのです。トランプ運動における製造業回帰というのは、相当な部分がファンタジーであり、過去に製造業に従事していた人の名誉の問題をイデオロギーにしただけです。ですから、本当にアメリカには製造業が戻せるのかは疑問です。
仮に無理にそうしたとして、ボーイングのサウス・カロライナ工場のように、運営の苦しみをどう乗り越えるのかという問題は避けて通れません。製造業という中付加価値の産業を支えるだけの中付加価値労働をコスパ良くできる労働力は、アメリカには決定的に欠けているからです。
というわけで、景気変動の波として時期が悪いこと、技術革新の踊り場にいること、保護主義に振っても国内に受け皿がないことから、トランプが景気と雇用の問題で改善へ向けて成果を出す環境にはないと言えます。ということは、残念ながら、このままトランプ政権が安全運転で4年の任期を全うすることは難しいと言わざるを得ません。
どうしても必要な「劇場」政治
景気、雇用、物価、いずれも成果を出すのが難しいとなれば、どうしても有権者の不満をなにか別のものに「振り向ける」ことが必要になります。過去の歴史において、内政に苦しむ多くの政治家が使ったのが戦争という手段でした。現在のプーチンは、国内求心力の維持のために戦争に訴えているわけですし、中国が79年にベトナムに懲罰攻撃を行ったのもカンボジアを助けるためというよりも、鄧小平と華国鋒の暗闘の結果でした。
ですが、トランプ政権というのは、対外戦争という面ではアグレッシブではありません。アメリカの伝統的な孤立主義が濃縮されたような部分があり、とにかく欧州やアジア、あるいは中東のトラブルは「他人事であり」、アメリカとしてはカネも血も流さないというのが、かなり強い信念になっています。
ということは、選挙戦を通じて訴えてきた公約らしきもの、例えばウクライナ戦争の凍結だとか、北朝鮮や中国との手打ち儀式だとか、不法移民の摘発と国外退去といった政策を「何らかの派手な芝居」として劇場型政治の材料にする必要があります。
第二次トランプ政権は、再選を気にしなくていいとか、トランプ自身が高齢でスローダウンするであろうことから、意外と常識的な共和党政権になるという可能性も議論されています。ですが、経済の問題で成果を出すのが難しい以上は、どうしても激しい劇場型政治をしなくてはならない宿命があります。何かを仕掛けてくるというのは避けられないでしょう。
その場合に問題になるのが、政権の陣容です。1期目は長女のイヴァンカ・クシュナー夫妻や、ペンス副大統領(当時)が「現実との橋渡し」の役を務めていたわけです。この中で、まずペンス氏は、議会暴動に際して実際に「殺害予告をされた」経験を契機として完全にトランプからは離れています。クシュナー夫妻は、6日未明の勝利宣言集会に参加していたので、もしかしたら影で何か協力をするかもしれませんが、今のところはなさそうです。
一方で、ポンペイオ元国務長官は、ジュリアン・アサンジの追及を行ったことで、トランプ派の不興を買っています。ニッキー・ヘイリー元国連大使は裏表の使い分けが露骨ということで、やはり無理でしょう。この2人は要職復帰はないと言われています。
現時点では、首席補佐官に選挙参謀のスーザン・ワイルズ氏を任命というニュースが出ています。ですが、彼女が首席補佐官に指名されたということは、とにかく選挙を一緒に戦ったメンバー以外には、まだブレーンらしいブレーンがいないことの証明とも言えます。
では、イーロン・マスク氏はどうかというと、政権内に入る場合には巨大な資産であり、企業の経営権であるテスラとスペースXの経営を誰かに委ねる必要があります。これはハードルが高い話です。トランプ本人は超法規的にやろうとするかもしれませんが、不透明な部分が大きいです。
JDヴァンス氏はもしかしたら、昔のディック・チェイニー氏のように実力副大統領になるかもしれません。能力的には相当な人物ですが、政治的手腕については未知数です。ただ、トランプ氏本人には次の選挙はない中で、トランプ家の信任を得ているというのは、やはり存在感として大きなものがあります。
とにかく、現時点では政権の陣容は全く流動的なようです。いずれにしても、経済問題を中心に現状不満を結集して選挙に勝った、つまり経済が勝因だというのは間違いなさそうです。ですが、その経済において全員を満足させる政策というのは難しい中で、過激な劇場型政治への誘惑を抑えるのは難しいでしょう。その意味で、今回の二期目の政権が、より穏健になるとか常識的になるという見方は甘すぎると考えるべきです。
※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2024年11月12日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。連載コラム「フラッシュバック79」もすぐ読めます
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