自民党総裁選挙(12日告示、27日投開票)をめぐり、まともな政策論争が見られないのはなぜだろうか?米国在住作家の冷泉彰彦氏は、各候補の政策パッケージが矛盾に満ちていることを最大の原因に挙げる。とりわけ、竹中平蔵氏を利用して売国を繰り返してきた自民党保守派の「政策セット定食」は食べ合わせが最悪で、日本型保守主義の絶望的な側面がよく現れているという。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より)
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:自民総裁選と党内保守
自民党の「オススメ定食メニュー」が示す日本の大問題
自民党総裁選は、堂々と政策のリストが出て、政策から対立軸が確定して合従連衡により政権選択がされるのがいい、常識的には誰でもそう考えると思います。そこに、中途半端な格好であれ地方党員票が入ってくることで、民意が間接的に反映するのであれば、出来上がった政権はある程度安定するからです。
そう申し上げると、そんな発想は青臭い理想であり、永田町の現実はそんなものではないという声が飛んでくるわけです。ですが、常識的に考えれば、政策の軸がしっかり表明されて、政策の対立軸が構成された結果の選択であった方が、政権が発足した際にはやりやすいはずです。
何故ならば、民意がある程度反映しているからですし、そうでなくても政策論争の結果として勝利して政権がスタートするので政策の実行には意外感がないからです。けれども、実際はそうはなりません。
近年の日本の歴代内閣が、多くの場合は短命であったり、意外な崩壊を遂げたりする理由としては、総理のパブリックなコミュ力が欠落している場合が多いわけです。ですが、それだけではなく、持ち出した政策が唐突であることで崩壊する場合も多いわけで、そう考えると、先に政策論争を経て人事が決まれば良いというのは当たり前の話です。
問題は、そうはならないということです。どうして政策の軸が出てこないのか、出てくるとしても非常に曖昧なのかということです。
例えば高市氏やコバホーク氏が、あるいは青山氏が「保守だ」といっても、どこがどう保守なのかは曖昧です。例えば林氏とか河野氏は媚中だという悪口が出るわけですが、これも意味不明です。河野氏に関しては改革イメージをだそうとしていますが、これも曖昧です。
小泉氏なども改革派のはずで、昔の自民党農林部会長の際には、負けたとは言えかなりの武闘派ぶりを見せていたはずですが、今回はそのイメージは封印しているようです。野田氏の場合は、守旧派で子育て支援という組み合わせがやはり意味不明です。石破さんも、反保守のようでもあり、一方で国軍設置となるとかなり異様な感じです。その他の、加藤、茂木、上川、齋藤などの顔ぶれは、どんな軸を持っているのか、ほぼ伝わって来ていません。
とにかく、この時点で、まともな政策論争になっていないというのは、どうしてなのでしょう?
彼らの多くが「まともな政策を持っていない」というのではないと思います。また、政策ではなく個人の上昇志向とか、特定の利益団体の利害代理人だけということでもないと思います。
そうではなくて、個々人の、あるいはそれぞれのグループの持っている政策パッケージの「セットメニュー」が非常に分かりにくいということだと思います。
各政策パッケージの“食べ合わせ”が悪すぎる
強引な比喩ですが、「天ぷら定食」だというので注文してみたら「パクチー」が大盛りで乗っていたとか、「ペペロンチーノセット」を頼んだら、「奈良漬け」がついてくるといった類です。
非常に簡単な例を上げると、日本の場合は自分がアメリカと行き来しているし、アメリカ文化が好きなので、親米政策がいいと思ったとします。しかしながら、日本の政治風土における親米派というのは、靖国参拝をしたり、選択式夫婦別姓に反対したり、まさに「パスタに奈良漬け」状態なわけです。
一方で、自分は若いので将来の地球環境が心配だと思って、環境政策を重視してほしいと思うと、そうした政策には「利潤追求は悪」だとか「経済成長も悪」というような激辛風味がついてきます。それだけでなく、経済成長は悪と言っている人物に限って自分は逃げ切り世代だったりするわけです。とにかく、政策の「組み合わせが悪い」のです。