冒頭の天声人語の記者の話を読み、思い出すのは女川に行ったときに高校生たちが話してくれた「絶対にメディアに明かさなかった話」です。
「仮設に来る記者やテレビの人に、『もっと悲しい顔をしてください』って言われた」
「芸能人とかたくさん来てくれてありがたかったけど、地元民以外は全員シャットアウトにしてやったカラオケ大会がいちばん元気が出た!」
「うちの婆ちゃんは、津波で流されて、あそのこ電信柱に張り付いて死にました。歌います!故郷! とか」
「うちのアニキは仮設でトイレ我慢して、脱水症状になって、死にました!歌います!兄弟仁義!とか」
そう笑いながら話してくれたのです。
笑いながら泣き、泣きながら笑うーー。
そして、うしろめたさを隠すために人のために動き、人のために動くことでうしろめたさが生まれるのかもしれません。
人間は強くて弱い存在であることを、絶望の現場が教えてくれます。
「私」は今、何をすべきか? 「私」に今、何ができるか?
改めて、考えてみようと思います。
みなさんのご意見や体験など、お聞かせください。
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