「食道がん」治療のため芸能活動休止を発表した矢先に、フジテレビ絡みで文春砲を被弾した『とんねるず』の石橋貴明(63)。芸能記者歴30年のベテランジャーナリスト・芋澤貞雄さんによれば、石橋はフジ港浩一元社長とは“義兄弟”とも言える深い仲。女性を口説く際に、当時社内で出世街道を突っ走っていた港氏の名前をチラつかせることもあったと言います。中居正広氏に続き、石橋も芸能界引退に追い込まれるのでしょうか?
フジテレビと『とんねるず』が“やりたい放題”だったあの頃
フジテレビの第三者委員会が報告した調査結果で、今から10年以上前に“有力な番組出演者”が起こした下半身露出事件が公表され、それが『とんねるず』の石橋貴明であると『週刊文春』が報じています。
芸能界ではかなり昔から――1983年に始まったフジテレビの深夜番組『オールナイトフジ』の頃から、一躍人気者になった石橋の傍若無人ぶりが物議を醸してきました。それを大目に見て許す人もいたし非難する人もいた、というのが当時の空気感です。
まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった『とんねるず』とフジテレビ。番組関係者の港浩一元社長(当時はディレクター)や構成作家だった秋元康はもちろんのこと、番組が(秋元が)作った『おニャン子クラブ』に携わっていたスタッフ、プロダクション、衣装提供社、楽曲関係者たちまで、悪く言えばやりたい放題…。
でも、それらのほぼすべてが一般視聴者に受け入れられていたのも事実でした。コンプライアンス教育などない時代に、彼らを止める人間は誰もいなかったのです。少しでも勢いを削ぐような意見を言おうものなら、瞬時に“抹殺”されてしまうため、怖くて誰も何も言えなかった…というのが正直なところでしょうか。
石橋とフジ港元社長は“まるで義兄弟”
1986年、当初はスペシャル番組として始まった『とんねるずのみなさんのおかげです。』や、2018年3月末で終了した『とんねるずのみなさんのおかげでした』は、“港さんととんねるずはまるで義兄弟”と言うスタッフがいたほど、3人の一致した感性と価値観によって作り上げられた番組でした。
番組内で石橋が、後にプロデューサーへと出世していく港氏の風貌を面白おかしく真似した際、顔を引きつらせる現場スタッフをよそに、当の港氏はスタジオの片隅で大笑いしていたという逸話も、酸いも甘いも嚙み分けた3人の“絆の深さ”があってこそと解釈できます。
「あれぇ~?浩ちゃんに言いつけちゃうぞ!」
ですから、例えば石橋が、「今年入った〇〇ちゃんと一緒に、お酒が飲みたいな~」なんてつぶやけば、大人気番組の大物プロデューサーはすぐさま彼女を口説きに走る――という具合だったでしょうね。
ベテランの芸能プロダクション関係者に聞けば、その当時の決めセリフは「フジテレビと君の、将来のためだから…」だったそうです。
また、その酒席に呼ばれた彼女が不機嫌そうな態度をとると、石橋は「あれぇ~?浩ちゃんに言いつけちゃうぞ!」なんて、目だけは笑っていない笑顔で、拗ねてみせたりしたとか…。
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大物プロデューサーに目を付けられたら当然、人気番組にはブッキングされなくなるわけですから、今で言えばパワハラになるのでしょうが、当時はヘラヘラと応対するしかなかったわけです。(次ページに続く)