「お金を払っているのに、ごちそうさまはマナー違反」が間違っている4つの理由
まず1つ目は、金銭の介在する外食の現場であろうと、また個人的な食事会に招待しあう関係性であろうと、あるいは家庭内でも、食事の提供者に対する感謝というのはデフォルトで存在してよいということです。理由は、恐らくこのへんに譲れない文化的アイデンティティーの問題があるからです。
2つ目は、「お金を払っているので感謝は不要」という考え方は、逆にカスハラ文化につながるということです。
つまり、金を払っているから消費者は神様という考え方が、ひどいカスハラにつながっているのです。そんな中で、そうしたカスハラを撲滅しようと、ようやく社会が動き出しているのです。金を払ったら「ごちそうさま」は不要とか、不快というのは、そのような流れに完全に逆行しています。
3つ目は、「自分は『ごちそうさま』を言いたくない」程度でとどまらずに、「不快だ」や「マナー違反」といった激しい言葉が出てしまう原因です。そこには恐らく「行儀の良さでマウントを取りにくるやつは不快だ」という深層心理があるのだと思います。
だとしたら、それは恐らく、「ごちそうさま」を不快に思う人のほうがかなり疲弊しているのであって、そう感じてしまう側に何かSOSを上げるべき問題があるのです。そうした認識を持たないと、「マナー違反」等と言っている人を救済はできないからです。
4つ目ですが、飲食店を出る際の「ごちそうさま」にはかなり便利な機能があるのです。
まず「お勘定お願いします」というと、露骨にカネの話になるので、それをソフトにする機能があります。
さらに、それよりも大事なのは、会計後に退店する際の「ごちそうさま」「ありがとうございました」のやり取りには、「自分たちはカネを払ったよね」「はい受け取りました」という意味合いがあるということです。
そうでなくて、無言で退店するのがデフォルトになると、出ていく人が無銭飲食かどうか分からないのが常態となり、出ていく人も周囲も居心地が悪くなる場合があるのではないでしょうか。やはり退店時には無言ではなく、「ごちそうさま」「ありがとうございました」のやり取りがあった方が自然だと思います。
というわけで、「スマイルあげない」には希望を感じる一方、「カネを払ったらごちそうさまは言わない」という風潮には大いに違和感を覚えるというお話でした。皆さまはどうお考えになりますか?
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