参政党内でかつて起きていた「泥沼の内紛劇」
それと、気になるのは、内紛の歴史だ。神谷氏が党の発展のためにその知名度を頼った武田邦彦氏(工学者)や吉野敏明氏(歯科医)ら中心メンバーが神谷氏と対立し、次々と離党していった。武田氏は神谷氏のことを「大ウソつきだ」と言って憚らない。
神谷氏と武田氏、それぞれが語る“事実”を以下に並べてみた。まずは昨年の衆院選期間中、神谷氏の街頭演説での発言(概略)。
「22年参院選の前、武田氏から一緒ににやったらどうだと百田尚樹氏(現・日本保守党代表)を紹介された。23年のGW明けに武田氏から河村たかし氏(現・日本保守党衆院議員、当時・名古屋市長)の秘書と会うように連絡があった。武田氏が勝手に減税日本との合流話を進め、河村氏を参政党の代表にしようとしていたようだ。その後、武田氏が党の運営がおかしいと怒り、運営を自分たちに任せろと言い出した」
この文脈だと、武田氏が百田氏や河村氏と組んで参政党の乗っ取りをはかっていたようなイメージになる。神谷氏はさらにこう続ける。
「武田さんたちに党の運営を任せたらむちゃくちゃになる。無理だとはっきり言った。そのうち、神谷が党のおカネを何億円も横領しているとか、党の中に愛人を囲っているとかいう噂が流れ、その発信元をしらべたら武田氏だとわかった。8月末くらいから誹謗中傷がネットではじまり、それに機を合わせて日本保守党の結成準備が進み、参政党から党員をごそっと持っていった」
むろん、武田氏や百田氏はこれを否定している。武田氏が吉野敏明氏と対談した動画番組(24年9月27日公開)において語った“事実”はこうだ。
「22年の参院選後、神谷は事務局、僕らは地方選の応援演説にかけまわっていたが、党員が理由も告げられずに除名されていった。誰が決めているのかわからない状態だった」
「今日、明日、明後日とどんどん変わっていくウソをつく人だ。しばらくは我々“ゴレンジャー”中心で党運営していたが、だんだん神谷一人の党になった。みんなでやるんだと言っていたのに」
ゴレンジャーとは、党の看板的存在だった神谷氏、武田氏、吉野氏、松田学氏、赤尾由美氏の5人を指す。武田氏は5人の合議制で運営していた党が、しだいに神谷氏の独裁体制に変貌していったと主張したいようだ。
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