MAG2 NEWS MENU

塾産業と経産省の陰謀としか思えぬ公立高校の大学受験対策ヤル気ゼロ。「教育格差」の犠牲になる子どもたちと衰退が止まらない地方の大問題

アメリカに次ぐ経済大国として名を馳せていた時代も今や昔、長きに渡る低迷から抜け出せずにいる日本。その一つの要因として教育問題が上げられて久しいですが、何が我が国の「正しい教育」を阻害しているのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では、米国在住の作家でプリンストン日本語学校高等部主任も務める冷泉彰彦さんが、具体的に4つの問題点を上げ各々について詳しく解説。その上で、今後さらに深く考察すべき課題を提示しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:日本の教育、4つの大疑問

「失われた35年」の元凶。日本の教育に抱かざるを得ない4つの大疑問

日本が35年以上にわたって経済の衰退を続けている要因の一つに、教育の問題があると言われています。漠然とではありますが、中進国型、つまり最先端のイノベーションを担うのではなく、完成された技術を使って大量生産の拠点になるような中付加価値創造に適した教育を、延々と続けた結果、21世紀型の先進国には入れていない、一言で言えばそうした問題が指摘できます。

そうではあるのですが、そんな抽象的な括りでは具体的な問題の指摘にも、解決策の議論にも発展させることはできません。今回は、とりあえず、4つの具体的な問題を取り上げて問題提起をしたいと思います。

1つ目は二重教育という問題です。通常の国家では、子どもは学校へ行きます。それ以外の時間は自由時間であり、その学校から出された宿題をやる以外は、自由に地域スポーツに参加したり、アートの活動をしたり、伸び伸びと遊んだりします。ところが、日本の場合はそうではありません。

基本的に、学校に属し学ぶ以外に、もう一つ、別の教育機関に通学して学習をします。塾とか予備校というのがこの「別の教育機関」です。そして、非常に奇妙なことなのですが、学校は文科省が管轄していますが、塾や予備校は経産省の所轄であり、また許認可はないし、教員も無資格で構わないことになっています。その一方で、義務教育期間の学校は無償、また高校も原則無償ですが塾は営利企業がやっているので有償です。

どうしてこのような二重教育が定着しているのかというと、日本の小中高のシステムというのは、中学の3年間なら中学で学ぶべき学習内容をしっかり学んで、できるだけ良い成績を取るのが目的では「ない」という設計になっているからです。そうではなくて、次の段階の学校の入試に受かること、例えば、中学時代の子どもの最大の関心事は高校受験に合格することが「目的」ということになっています。

その高校受験ですが、都道府県によって違いがあり、また公立と私立や国立はまた事情が異なるのですが、基本的に「中学でちゃんと勉強」すれば合格するようにはできていません。

理由は2つあり、高校側が中学の内申書を信じていないか、もしくは内申点と中学名から絶対的な学力を推定するノウハウがないか、または推定行為が禁じられているということがあります。つまり内申点で合否判定ができないので、高校は独自の入試をやって学力判定をするのです。

この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ

初月無料で読む

「各教科のトップレベル」ではない正規の学校の教員

もう1つは、高校入試の目的は選抜であり、全員が100点になるような入試問題では選抜ができないので、理屈の上では中学のカリキュラムの範囲内で収まるようにしながら、難問奇問を出題することになります。こうした入試対策の学習を行うには、基礎学力がある程度ないと効果がありません。ですが、中学までの義務教育では習熟度別の学級というのは原則として禁じられています。

ということは、平均的な内容の授業を全員に対して行うことになります。泳げない子を足の立たないプールに入れては危ないので、400コンメを秒単位で競うような子でも、90センチの水深のプールに入れる…みたいな話です。ということは、事実上は学校では入試学習はできないことになります。

ということで、高校側は独自の入試をやるし、その入試で合格点を取る方法は、学校では教えてもらえない、となるわけです。そこで塾というものが、社会的に不可欠になり、子どもを持つ親は「二重出費」を強いられます。いくら、教育を無償化しても、最後にはこの塾の費用がバカにならず、親の家計を圧迫します。

その結果として、少子化が加速することになるし、同時に塾などに費用がかけられる世帯だけが、偏差値の高い学校に子どもを送ることができるわけです。そうなると悪しき「教育水準の世襲と階層化」が起きてしまいます。

ちなみに、この「教育水準の世襲」というのは、単に機会の不平等という社会的不公正を招くだけではありません。硬直化した現状維持型の子どもを再生産することにもなり、一種の貴族化を生み、国の衰退を加速させます。

教育人材の偏在というのも問題です。塾は無認可、塾教師は無資格ですが、その代わりに完全な競争社会でもあります。ですから、子どもを合格させるという非常に狭いスキルではありますが、良い教師が成功する社会でもあります。

そうした人材は、もしかしたら正規の教員になったらより深いコミットを子どもたちにして、子どもたちを良い方向に鍛えるスキルを発揮するかもしれません。

ですが、正規の学校の教員というのは「四大を出て教職免許を取り、採用試験に合格した」人が中心です。つまり、各教科のトップレベルではないわけです。

また、現在では教員がブラック職種ということになっていますから、「でもしか先生」つまり「教員にでもなろう」かあるいは「教員しかなれない」先生ではなく、「しか先生」つまり「教員にしかなれない」先生が中心の世界になっています。

本当は高校教師には理科系の院卒を持ってくるのがいいわけですが、これは四大卒の終身雇用教員集団がブロックしており、簡単には実現しません。そうなると、院卒や院卒崩れの優秀な人材は塾に流れるわけです。一方で、安い塾の場合は学生バイトでクオリティも怪しい場合もあります。

いずれにしても、全体としては、人材の配置が妙なことになっています。この学校と塾の二重教育というのは、様々な意味で日本の教育を劣化させていると思います。

この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ

初月無料で読む

「出題範囲の上限が易しすぎる」という受験制度の弱点

2番めは「天井の押さえつけ」です。変化の早い時代になり、最先端の技術はどんどん先へ進む時代です。ですが、日本の場合は受験制度があるために、中学は中学の、高校は高校のレベルを超えた高度な学習の機会は、完全に個人の努力に任されています。近年では、科学オリンピック参加とか、大学への飛び級なども見られるようになりましたが、これは極めて限定的なトップレベルの話です。

それ以外の普通の学生の場合は、何よりも受験に受からないと先へ進めません。ですから、本当はもっと高度なことをやりたくでも、高校の期間は受験に専念するということになります。つまり期待される学力の内容が「頭から抑えられている」ということなのです。

最も弊害の大きいのが、大学受験ですが、無視できないのは大都市圏を中心に大流行している中学受験です。せっかく前思春期の安定期間に差し掛かっている子どもたち、しかも曲がりなりにもモチベーションがある子達に、インチキな背伸びをさせた国語読解や、未熟な理解を元に時事問題の知識を詰め込ませるなど、教育的には言語道断だと思います。

良くないのは理数系で、4年生から6年生までの3年間、塾などでかなりの時間と熱量を入れて、ベースの基礎力のある子達に訓練をするのなら、せめて周期表とか平方根、二次方程式ぐらいまで引っ張らないとムダです。

自然観察に毛のはえた理科とか、つるかめ算的なインチキな「なぞなぞ数学」で、そのくせ難問奇問で脳の筋トレというのは、全くのムダです。まして、近年は各中学が自己流で英語の試験までするのですから、迷走もいいところです。

要するに、大都市圏では、一種のエリート教育が塾に丸投げで、しかも、進路指導も含めて公立小学校の教員は中受にはノータッチ、塾のクオリティは文科省的にはノータッチ、という無政府状態です。そのうえで、首都圏など大都市圏では、「公立中学の崩壊を半世紀以上放置」しているのです。

そこまでやって、それでも自由競争の結果として保護者に選択された塾が、まあまあのエリート教育をしているのならいいのですが、とにかく学習内容には「天井からの抑え」があって、周期表も二次方程式も教えられないというインチキな内容に、壮大なエネルギーを投入。こういうことを半世紀以上続けていれば、国家が衰退するのも当たり前ということです。

受験体制の何が悪いのかというと、それは子どもに勉強を無理強いしているとか、過酷な競争を強いているからではありません。そうではなくて、受験の出題範囲の上限が、大学入試も中受も易しすぎるのです。

もっと言えば、地頭(じあたま)の良い学生を選抜して入社させ、あとはOJTで鍛えれば国際競争力がつくという時代はとっくに終わっています。大学の段階で、個々の人材に競争力をつけないと、全体では負けるのです。ですから、このような「内容が頭打ち」になるような受験制度は止めなくてはなりません。

実は、その意味では各大学は生き残りをかけて、推薦枠や帰国枠などを拡大して、インチキな一般入試ではない、本物のモチベーションや可能性のある学生を奪い合っています。

にもかかわらず、就職試験では一般入試でないと「地頭の証明がない」などと困っているのですから、日本企業のバカさ加減にもいい加減にしろと言いたくなります。いずれにしても、受験制度の弱点は「易しすぎる内容」にあるのです。

この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ

初月無料で読む

広陵高校の問題でも証明されたインチキな封建主義の残存

3つ目はコミュニケーションです。近年は、各企業の現場には多様な人材が集まっています。参政党の嫌いな外国人だけではありません。日本人の中でも、まともな職場はほぼ男女同数になり、転職組もあり、年齢と職位は一致しなくなっています。実力主義は当たり前で、管理のできない管理職、専門性のない専門職はどんどん淘汰されています。

そのような中で、年齢や職歴だけで、あるいは男性だというだけで自動的に権力が付与されるということは、一般社会ではありません。むしろ、人間同士は職位や年齢にかかわらず対等であり、管理職の役目は威張ることではなく、部下のモチベを最大化して、チームのモラルを上げて、生産性を上げることにシフトしています。

このように時代が変化しているのに、例えば高校の部活や大学の運動部では、今でも江戸時代のような「学年が上だと自動的に権力が付与される」という奇怪な封建主義が残っています。広陵高校の問題は、いじめの被害者が転校させられたということだけでなく、明らかにこの種のインチキな封建主義が残っているということなのです。

そのような全体のパフォーマンスを壊す封建的リーダーシップを叩き壊すのではなく、むしろ擁護しているのではないか、広陵高校の問題は決してこの1校の問題ではありません。多くの高校の体育会で、あるいは吹奏楽部もそうですが、いわゆる体育会気質というのは、21世紀の現代においては害悪でしかないのです。

コミュニケーションということでは、このような上下のヒエラルキーだけではありません。ネットやSNSが後押しする格好で、小学高学年から高校生まで、コミュニケーションの様式が変わっています。それは、濃密で頻繁なコミュニケーション、そして濃い場の空気の存在による「グループの内閉」であり、「他者の疎外」ということです。

仲間内の隠語や非言語コミュニケーションがどんどん肥大化して、転校生が溶け込めない空気を作ったり、異端を阻害して孤立に追いやるという傾向です。この問題は、一進一退の厳しい状況にあり、何よりもいじめや不登校の元凶となっているのですが、文科省は全く動きません。「あだ名は止めましょう」的な「お達し」は出るのですが、仲間内の濃密なコミュニケーションを「開かせる」という発想はゼロです。

その結果、日本の学校というのは健全な社会性を学び、身につける場ではなく、閉鎖的な仲間内の「濃厚な場の空気」と、自動的な上下ヒエラルキーによる「統制が暴力化する牢獄」という、人間性に反する経験をする場になっているのです。

その結果として、仮に被害者にならなくても、加害者や傍観者になって無力感に落ち込む人間を大量に作っています。近年では「介入しなくていい」などという人間性の敗北主義まで横行しています。

こうしたカルチャー全体が、日本社会に病理をもたらし、個々人の自己の尊厳を壊し、自発的なモチベーションや、人間関係や社会を健全で生産性のある空間にできない、異常な社会を作っているのです。これも35年の低迷の結果というよりも、原因と言えるでしょう。

この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ

初月無料で読む

「ボランティア活動」すら禁止する地方高校の校則も

4つ目は地域格差です。先ほど申し上げたように、首都圏では多くの子どもが中受をすることで、公立の中学校の体制が崩壊しています。そして、巨額な公金が私学の維持に流れています。一方で、多くの地方では公立中学から公立高校というルートでもキチンとした教育が受けられるようになっています。ですが、近年では「働き方改革」を掲げて、公立高校での受験教育を廃止する動きがあります。

どう考えても塾産業と経産省の陰謀としか思えないのです。ですが、近年の文科省は経産省とは喧嘩せず、むしろ21世紀の現代という時代に「ついていけない」部分は、経産省に依存するという体たらくですので、この流れになっています。

地域格差の大きいのが、いわゆる社会体験や教養体験の部分です。公立高校生のバイトが、大都市ではオッケーで、地方では禁止とか、全く理解不明ですし、とにかく同じ高校生であっても、大都市圏と地方では経験の幅広さなどに大きな格差が出ています。留学しようと思って、社会体験としてボランティア活動に参加しようと思ったら、地方の場合に校則違反で禁止されたなどという例もあり、全く笑えない話です。

こうした地域格差についても、文科省は全く問題視していないようで大問題だと思います。

更に問題なのは、大学進学における地域移動の減退です。地方を真に活性化するには、大学においては最先端に触れながら、就職は地元にUターンして地元の近代化に貢献する人材が多く出ることだと思います。ですが、現在は、経済的な面もあると思いますが、優秀な人材でも大都市に出ないというケースが増えているようです。

一方で、大学で大都市に出てしまうと、そのまま大都市で就職してしまい、地元には戻らない、という一極集中の悪い面を継続するだけのパターンも依然として多いように思います。

日本はせっかく、地方により文化も言語も異なるという多様性を有しているのですから、優秀な人材が地方で地方を改革するといったダイナミズムが起これば、潜在的には大きな変化が期待できると思います。ですが、構造的にはそうした人材流動の活性化は起きていません。これも大きな問題だと思います。

日本の教育の問題は、まだまだあると思います。引き続き、議論を続けていきたいと思います。予告として申し上げておくと、最大の問題は、大学までに学んだことが社会で役立つような、専攻とジョブ型雇用のリンクをどう実現するか、という問題です。言い換えれば、大卒時点でジョブ型の労働市場で競争力を持たえるには、という話です。引き続き、ご意見をお待ちしております。

※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2025年8月19日号の抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。今週の論点「関西の球団では、どうして永久欠番が少ないのか」や人気連載「フラッシュバック80」もすぐに読めます。

この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ

初月無料で読む


初月無料購読ですぐ読める! 8月配信済みバックナンバー

※2025年8月中に初月無料の定期購読手続きを完了すると、8月分のメルマガがすぐにすべて届きます。
2025年8月配信分
  • 【Vol.600】冷泉彰彦のプリンストン通信  『日本の教育、4つの大疑問』(8/19)
  • 【Vol.599】冷泉彰彦のプリンストン通信 『円安という袋小路を考える』(8/12)
  • 【Vol.598】冷泉彰彦のプリンストン通信  『ロジックを語る世代の希望』(8/5)

いますぐ初月無料購読!

image by: Shutterstock.com

冷泉彰彦この著者の記事一覧

東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1~第4火曜日配信。

有料メルマガ好評配信中

  初月無料で読んでみる  

この記事が気に入ったら登録!しよう 『 冷泉彰彦のプリンストン通信 』

【著者】 冷泉彰彦 【月額】 初月無料!月額880円(税込) 【発行周期】 第1~第4火曜日発行予定

print

シェアランキング

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MAG2 NEWSの最新情報をお届け