かつて「お先にどうぞ」という譲り合いの文化を誇りにしていたはずの国で、「われ先に」「日本人ファースト」という言葉が響く現実があります。メルマガ『佐高信の筆刀両断』の著者で辛口評論家として知られる佐高さんは、そんな時代だからこそ心に刻みたいエピソードを紹介しています。
「アリラン」の国の人
「お先にどうぞ」と譲ることを知らないのが「われ先に」というファースト主義者である。
「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」という交通標語があったと思うが、「日本人ファースト」を掲げる自称愛国者が創氏改名を押しつけられた在日韓国人を差別して排撃するのは情けない。
『週刊新潮』の高山某の連載コラムがムキ出しのヘイトクライムで問題になっているが、新潮社発行の『新潮45』も杉田水脈の低レベルのひどい差別原稿を載せて廃刊に追い込まれた。
高山の標的になったのは作家の深沢潮で、深沢は抗議の記者会見を開いた。
私は『ザ・ハウス・オブ・ノムラ』がベストセラーになり、監訳者として新潮社から金文字の特製本を贈られたりしたが、あまりにひどいこの差別の連続に深沢に連帯して、新潮社をボイコットする。
かつて、創価学会が藤原弘達の『創価学会を斬る』の出版妨害をしたことに怒って、五木寛之や野坂昭如らが学会系の出版物への執筆を拒否した。
それに続くように、創価学会が支持する公明党が野党の立場を捨てて自民党と組んだ時、鎌田慧と私は『潮』等の学会系の出版物への執筆を拒否したのである。
フリーの物書きにとって、執筆拒否というのは、とんでもなく重い決意である。
それでも抗議せざるをえなかった深沢の胸中を思って、読者は新潮社の出版物の購読を拒否してほしい。そうしなければ、差別発言のヘイトが勢いを得て、参政党などが伸長することになるだろう。
ちなみに、『週刊新潮』には櫻井よしこや佐藤優ら、名うての反共右翼が連載している。
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こんなイヤな話と裏腹のちょっといい話を披露したい。
『私を支えたこの一曲』(青年書館)に、生きていれば88歳の人が59歳当時に寄稿している。北国生まれのこの人は20歳だったころに仲間と夜桜見物をしていた。
酒が入って歌になる。
誰かが『アリラン』を歌い出した時、突然、高音の澄んだ声が混じった。
声の主は中年のおじさんで、一見して『アリラン』の国の人だとわかったという。
一瞬、青年たちは戸惑ったが、すぐに一緒に歌った。そのうち、おじさんは手拍子足拍子も見事に踊り始め、青年たちも調子を合わせた。
やがて肩を組み合うほどに仲よくなり、宴が終わろうとした時、おじさんはきちんと正座して言ったという。
「私は朴と言います。鉄屑屋です。貧乏ですからいつも生活に追われ、楽しいことが何ひとつありませんでした。でも、今日はみなさんのおかげで愉快な一刻を過ごさせてもらいました。故郷の歌も歌いました。おいしいお酒もいただきました。どうも、どうも、ありがとうございました」
夜桜見物から数日して荷物が重いリヤカーで困っていた朴に後押しをこの人はする。
礼を言いながら空を仰いで朴は「あの雲はどこへ行くのでしょうか。ひょっとしたら私の故国へ」と言ったという。
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