企業業績のために人件費を下げるという愚策
が、バブルがはじけて以降、政官財のリーダーたちは、その方針を大きく転換してしまいました。企業業績を上げることを最優先であり、そのためには、賃上げなどはしていられない、ということになったのです。1990年代以降、外国人労働者を急激に増やしたのも、その流れの一環でした。
そしてその流れの中心となっていたのは、経団連という組織なのです。
このメルマガでも何度かご紹介しましたが、経団連とは、正式には、日本経済団体連合会といいます。経団連とは、上場企業の経営者を中心につくられた会合であり、いわば日本の産業界のトップの集まりです。経団連には、上場企業を中心に約1,400社、主要な業界団体100以上が加入しています。
日本経済団体連合会の会長は、財界の首相とも呼ばれ、日本経済に大きな影響力を持つのです。経団連は政権政党に対して、通知表ともいえる「政治評価」を発表し、その評価に応じて加盟企業に寄付を呼び掛けるのです。
たとえば、昨今では、経団連は安倍首相の政策を非常に評価していました。そのため、経団連は加盟企業に自民党への政治献金を呼び掛けました。自民党は、経団連の加盟企業から、毎年二十数億円の政治献金を受けており、収入の大きな柱になっているのです。いわば、経団連は自民党のオーナーのような立場なのです。当然、自民党は経団連の意向に沿った政策を行うことになります。
経団連は、バブル崩壊後の1995年、経団連は「新時代の“日本的経営”」として、「不景気を乗り切るために雇用の流動化」を提唱しました。経団連は、これまでの「雇用を大事にする」という方針を大転換し、「雇用を削ることで企業の利益を出す」という目標を掲げたのです。
そのため、「雇用の流動化」という名目で、「いつでも正社員の首を切れて、賃金も安い非正規社員を増やせるような雇用ルールにして、人件費を抑制させろ」と政府に迫ったのです。
これに対し政府は、財界の動きを抑えるどころか逆に後押しをしました。外国人労働者の大量受け入れが始まったのもこのころです。
しかも日本政府は1999年には、労働派遣法を改正しました。それまで26業種に限定されていた派遣労働可能業種を、一部の業種を除外して全面解禁したのです。
2006年には、さらに派遣労働法を改正し、1999年改正では除外となっていた製造業も解禁されました。これで、ほとんどの産業で派遣労働が可能になったのです。
そもそも製造業で労働者の派遣がこれまで禁止されてきたのはなぜでしょうか?
製造業などでは危険な作業が多く、労働災害が起こりやすいのです。そのため労働災害時などの責任を明らかにするためにも、企業が直接雇用することを義務付けていたのです。
また製造業など繁忙期と閑散期の差が大きい業種で、派遣社員を許してしまうと、「簡単に首を切る」ということにつながります。それでは、労働者の生活の安定が図れません。そのために労働者の派遣は厳しく規制されていたのです。
派遣労働が全面的に許されるようになると、当然、製造業者などは派遣社員を多く使うようになりました。派遣労働法の改正が、非正規雇用を増やしたことは、データにもはっきりでています。90年代半ばまでは20%程度だった非正規雇用の割合が、98年から急激に上昇し、現在では35%を超えています。
このように、従業員の賃金を抑制し、非正規社員を増やしたことが、「この30年で日本人の賃金だけが上がっていない」ということになった最大の要因なのです。
そして、この賃下げ政策の一環として、経団連は「外国人労働者の受け入れ」を強く働きかけてきたのです。
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