誹謗中傷への処分を批判するリベラルはこれまで何をしてきたか
日本のメディアでは、こうした死者への誹謗中傷に対する取り締まりや解雇について、「言論の自由を阻害する」とする論者も少なくありません。あるワイドショーでは、コメンテイターの大学教授が「リベラルのキャンセルカルチャーを批判していた保守派が、言論統制を行い、言論の自由を犯している」などと批判的に論じていました。
「言論の自由」という観点からすると、たしかに、たとえ非人間的な言葉であっても、そのために逮捕されたりや職を奪われるということは、問題があるかもしれません。あくまでも法を犯しているかどうかによって、判断されるべきでしょう。
ただ、これまで「キャンセルカルチャー」によって、LGBTや「多様性」に疑問を呈したり、保守的な発言をする者を「差別主義者」と批判し、解雇や社会的な抹殺へと追い込んできたのは、むしろリベラルのほうです。
先のワイドショーで大学教授は、「カーク氏の死亡を揶揄する発言への取り締まりは、リベラルのキャンセルカルチャーを批判する保守派が、言論の自由を犯している」と述べていましたが、そもそもキャンセルカルチャー自体が、保守派からすると自分たちの言論の自由を阻害するものであったのですから、それまであったのは「リベラルの言論の自由」だけであって、「保守の言論の自由」はなかったわけです。
このあたり、リベラルは「あくまで自分たちだけが正しく、自分たちと異なる意見は間違いであり、キャンセルされるのは当然」「反LGBTや反移民など、保守派の意見は差別的ですべて間違いだからそれをキャンセルしても言論の自由にはあたらない」「リベラルの意見は死者への罵詈雑言であっても正しく、それを封じるのは言論の自由に反する」という自分ルールが透けて見えていて、実に香ばしい感じがします。
以前のメルマガでも取り上げましたが、一部の日本のリベラルは、「日本では女性の政治家が少ない、女性の社会進出が遅れている」と主張しながら、「高市早苗氏が初の女性総理になるのは喜べない」「日本の歴史に残る最初の女性の首相がこの人だったら恥ずかしい」「安倍(晋三)さんが女装して現れた」「中は男でしょ。安倍さんでしょ」などと、かなり差別的な言葉で罵っていましたが、それに近い意識を感じます。
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