玉木雄一郎氏の「尻込み」も手伝って、日本維新の会との連立を実現させ政権の座を死守した自民党。自党存在感の演出を目論んでいた維新にとっても「成功」と言っても差し支えない今回の連立劇ですが、識者はどう見るのでしょうか。今回のメルマガ『小林よしのりライジング』では漫画家の小林よしのりさんが、過去に自民と組んだ数々の政党の末路を挙げつつ、維新を待つ悲惨な行く末を予言。さらに、天皇制を滅ぼしかねない高市政権に「宣戦布告」とも取れる言葉を突きつけています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:ゴーマニズム宣言・第582回「玉木るで、自民党が延命に成功!」
玉木った国民民主に救われた自民。ついに始まる天皇制を滅ぼす高市政権との戦い
先週号で書いたように、「時勢」は確かに訪れていた。あとはこの機会を逃さず時勢を捉えさえすれば、政権交代は実現していたはずだ。
【関連】高市早苗の失脚も麻生太郎の終焉もすべて必然。小林よしのり氏が語る「愛子天皇」実現へと向かう“時勢”の流れ
だが実際には、一方で感じていた懸念の方が的中してしまった。玉木雄一郎がその優柔不断さから、すっかり時勢を逃してしまったのだ。
高市早苗が自民党総裁に就任することが決まった当初、玉木は自民党との連立を模索していた。ところが10月10日、公明党が自民党との連立解消を表明、野党の連立が実現すれば政権交代が達成される可能性が出てきた。
立憲民主党は野党の首相候補の一本化を目指し、その対象として玉木の名を挙げた。そして、それを受けて玉木はXで「私には内閣総理大臣を務める覚悟があります」と表明した。
この時点では、完全に時勢は玉木に向かっていた。ところが玉木は野党で連立を組むなら基本政策の一致が必要だとして細々と注文を付け、一方で自民党との連携の可能性も残すという「両天秤」の動きを繰り返した。
10月16日には玉木と公明党の斉藤代表が党首会談を行い、「政策面での連携強化」を発表。これには特に支持層のネトウヨたちが「公明党と一緒になる」「中国に配慮するのか」と猛反発し、玉木は火消しに躍起となった。
玉木は首相に担がれた後のリスクに尻込みして、完璧な条件を整えようとしたのだろうが、リスクの一切ない、完璧に安全なチャンスなんかあるわけがないのだ。
そうして玉木が迷走している間に、日本維新の会はまんまと自民党との連立に向かって突き進んだ。
それまでは立民・国民・維新での3者協議を重ねていたことから、玉木は維新が裏切るとは思ってもいなかったようで、維新に対して「二枚舌みたいな感じで扱われて残念」「自民党とやるんだったら最初から言ってよ」「したたかでも、公党間の話なので、出し抜いたり騙したりするみたいなことは、やめたほうがいい」と恨み言を言いまくった。
この言葉を読売新聞特別編集委員の橋本五郎は「政治家にあるまじき発言」と切り捨て、「いろんなことがあり得るんで、いろんな可能性を考えながら、自分の立ち位置を明確にする。早く教えてちょうだいと言うのは如何なものか」と批判した。
さすがはベテラン政治記者、政界は出し抜いたり騙したりが日常茶飯事だということを知り抜いており、「裏切るつもりなら最初から言ってよ」なんて世間知らずのボーヤみたいなことを言っている玉木に心底呆れたようだ。
この記事の著者・小林よしのりさんのメルマガ
「自社さ政権」を思い出させる自民と維新の連立
ことここに至って、ついにネトウヨも玉木を完全に見限ったらしく、Xでは「玉木る」というネットスラングが急速に広まり、大きな話題になったという。
ネット内の定義によると「玉木る」とは「いいとこまで行くけど、最後に丸見えの地雷を周りから注意されても踏むこと」だそうで、ここぞという場面で誰の目にも明らかな判断ミスをして、手中にしかけたチャンスを逃してしまうという玉木の行動パターンを象徴的に表している。
もはや玉木に対しては、真面目な批判よりも揶揄・嘲笑の方が目立つような状態らしい。これで玉木は完全終了!国民民主党ももう長くはないだろう。
玉木はせっかくのチャンスを「玉木って」、全て逃してしまった。玉木がタマ切ったんだからしょうがない。タマキン切った玉木は首相にもなれず、支持者にも見放されて、次の選挙じゃボロ負け確実という状況になってしまった。
「チャンスの女神には前髪しかない」という古代ギリシアのことわざがある。一度逃したチャンスは、後で追いかけても決してつかめないものだ。
本当は政権交代が時勢だったのに、玉木は自民党の生き残り戦略に手を貸しただけに終わってしまった。本当にバカな男である。あまりにも酷くて、もう笑っちゃうしかない。もはや玉木がこんなザマになったということが今回一番面白く、ある意味痛快だったとも言える。
自民と維新は連立に正式合意、このライジングの配信日にも臨時国会が召集され、高市早苗が首相になる見込みとなった。しかも、衆院ではこれにあと2議席も加えれば与党が過半数に到達してしまう。
その上、維新と組んだのは自民にとってものすごいプラスとなる。維新代表の吉村には、若く清潔で誠実そうなイメージがあるから、自民党の悪党揃いのイメージが緩和されてしまうのだ。
もうコロナの時の「イソジン吉村」のことなんか人は覚えちゃいないだろうし、万博を成功させたというのも大きい。自維政権は相当に好感度が高くなるだろう。
それは31年前の「自社さ政権」を思い出させる。首相に担いだ社会党の村山富市も、新党さきがけ代表の武村正義も、いかにも善人そうな風貌をしていたから、それによって自民党の悪印象を弱め、政権のイメージアップに成功していたのだ。その点、自民党は自分が延命する術だけには非常に長けている。
一方の維新は議員定数の削減とかいろいろ条件を飲ませ、自分を高く売りつけて与党入りしたつもりだろうが、そういつまでも上手くは続かない。それは、社会党の末路を見れば明らかである。
自民党は昭和30(1955)年の結党以来、常に単独政権を維持していたが、平成5(1993)年、初めて下野した。
この年に行われた衆院選で、前熊本県知事・細川護熙が結成した「日本新党」を始め、自民党を離党した羽田孜のグループによる「新生党」や武村正義らの「新党さきがけ」が大躍進。とにかく「新党」であれば議席が取れるという風潮は、この時に始まったものだ。
この選挙で自民党は過半数を割り、3新党と社会党・公明党・民社党・社会民主連合・民主改革連合による「非自民・非共産」8会派の連立政権が発足し、細川が首相に就任。 発足当初の支持率は71%にも達した。
だが8会派の寄り合い所帯は最初から矛盾を抱えており、中でも日本の「社会主義国化」を掲げ「非武装中立・自衛隊違憲」を党是とする社会党と、他党との隔たりは大きかった。
そんな中、政治資金問題を追求された細川が、首相就任からわずか9カ月足らずで突然政権を投げ出した。
次の政権は「非自民・非共産」の枠組みを継いで羽田孜が首相となったが、それまでのゴタゴタもあり、社会党は連立政権から離脱。羽田政権はたった2か月の短命に終わった。
この記事の著者・小林よしのりさんのメルマガ
なりふりかまわぬ政権復帰を目指す自民が使った禁じ手
そしてここで、なりふりかまわず政権復帰を目指していた自民党は、社会党と組んでその党首・村山富市を首相にするという禁じ手を使ったのだった。
まさか「社会主義国化・非武装中立・自衛隊違憲」の党と自民党が組むなんて誰も思ってもいなかったのだが、政権に就くためなら、そして党を延命させるためなら、なんでもやるのが自民党だったのだ。
こうして平成6年(1994)、自民・社会に新党さきがけを加えた「自社さ連立政権」が発足したのである。
首相になった村山は「自衛隊合憲」「日米安保堅持」と党是を180度転換、「非武装中立は政治的役割を終えた」と表明した。
そしてさらに「社会主義国化」も放棄し、党名を「社民党」に変更。あとは凋落の一途となった。
いまや社民党の国会議員は衆院1人、参院2人。選挙の度に政党要件が維持できるかどうかが最大の注目点となる政党に成り果てている。
もっとも、社会党が滅びるだけならまだよかった。どうせ社会主義政党なんか、冷戦終結とともに滅び去る運命にあったのだから。
問題は、自民党が自らの延命だけのためにそんなものを政権に就かせて、その党首を首相にしてしまったことだった。
阪神淡路大震災の際には、初動の遅れが被害を拡大してしまったし、「村山談話」の禍根は今なお根深く残っている。
自社さ連立政権は村山が首相を辞任した後、第1次橋本龍太郎内閣まで続いた。この時、当時新党さきがけに所属していた菅直人が厚生大臣に就任したことから薬害エイズ事件が急転、和解へと向かったわけで、わしにとってはこれだけが自社さ政権の功績である。
社民党・さきがけは第2次橋本内閣から閣外協力となり、後に離脱。自民党は単独政権、自由党との「自自連立」を経て平成11(1999)年の小渕第2次改造内閣から公明党と連立を組んだ。
社会党もさきがけも自由党も、今はない。社民党も風前の灯火だ。結局、政権与党の座に目がくらんで自民党と組んだら最後、党のアイデンティティも何もかもなくして、滅亡するしかないのだ。
高市政権が発足して、安倍晋三の衣鉢を継ぐ「保守」政権だと売り出していけば、ネトウヨ層は全員高市自民党に乗り換えていって、国民民主党と参政党の票が大幅に減る。日本保守党なんか消えちゃうだろう。
~中略~
そうなってしまうと、今度は維新の存在価値が揺らいでくる。そもそも維新は大阪が本拠地で、「大阪都構想」をアイデンティティのように掲げ、これが住民投票で2回否決された今も「副首都構想」と変えて実現を目指しており、これに反対する自民と選挙で激しく争ってきた。
それなのに自維が連立し、さらに自民が強くなったら、もう維新はアイデンティティも求心力も失って消滅していくしかない。
公明党はいいタイミングで自民党から離れたとは言えるが、26年間も自民と連立を組んで、その間に安倍政権の安保法制や特定秘密保護法や共謀罪成立などに協力してきたのだ。今さら独自性を出そうといってもそううまくいくはずもなく、ジリ貧になっていくしかないだろう。
そしていま、維新という新たなカモがネギしょってやってきたというわけだ。
この記事の著者・小林よしのりさんのメルマガ
男系派の政治家は全て敵。どんな政権ができようと戦い抜く
結局、玉木のせいで政権交代のまたとないチャンスをみすみす逃し、自民党政権を盤石にしてしまうだけになってしまった。
しかも高市政権だ。男系派ゴリゴリの政権だ。これによって愛子さまの立太子はさらに遠のくことになってしまった。
愛子天皇を絶対に実現しないと天皇制は滅ぶ。天皇制を滅ぼそうとする奴らが「保守」政権なのか?
真の保守、真の愛国者、真の天皇崇拝者、尊皇派はゴー宣DOJOだけである。
もう、誰が首相になろうが知ったこっちゃない。どうせ今の政治家なんてものは、小物ばっかりなのだ。
政治家を、その支持者も込みで脅かすくらいに、ゴー宣DOJOが強くならなければならないのである。
これからは、高市政権との戦いだ。男系派の政治家は全て敵であり、我々は女性天皇・女系天皇、愛子天皇を目指すというのが至上命題なのだから、どんな政権ができようと、戦って戦って、戦い抜くだけである。
(『小林よしのりライジング』2025年10月21日号より一部抜粋・敬称略。続きはメルマガ登録の上お楽しみください)
この記事の著者・小林よしのりさんのメルマガ
image by: 首相官邸