トランプ大統領が着々と進めるアメリカ・ファースト経済政策。強引とも取れる「製造業の国内回帰」へと邁進する手法は、日本も見習うべきなのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では作家で米国在住の冷泉彰彦さんが、「トランプ経済」の本質を分析し、日本経済への適用可能性を検証。その上で、製造業回帰ではなく高付加価値型の知的産業への転換こそが、日本再生の現実的な道筋である理由を解説しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:トランプ経済の日本への適用は可能なのか?
アメリカ以上の苦境ニッポン。「トランプ経済」の手法で日本は救われるのか
アメリカのトランプ政権の影響は日本にも及んでおり、一部における参政党ブームを契機に、21世紀型のナショナリズムが急速に広がっています。今回の高市政権については、その本質は右派ポピュリズムの皮をかぶった財政規律主義なのだと思いますが、それでも表層においては、ナショナリズムの味付けは濃厚となっています。
こうした風潮の中で、感情論としての自国中心主義、あるいは自国民中心主義については、論争や対立をできるだけスルーして、対立エネルギーの鎮火へ持っていくしかないと思っています。その一方で、真剣な議論が必要なのが経済政策です。トランプ政権の施策の中でやはり重要なのは、関税政策など経済政策です。いわゆる「アメリカ・ファースト経済」という問題です。
この「アメリカ・ファースト経済」というのは、表面的には右派ポピュリズムの延長のように見えますが、とにかく実行が進んでいるのは事実です。そして、もしかしたらアメリカ経済の構造に何らかのインパクトを与え、産業構造を変えてしまうかもしれません。
では、アメリカより更に経済的に苦しんでいる日本の場合は、この「トランプ経済」の手法は使えるのか、今回はこの点における思考実験をしてみたいと思います。
まず、現在アメリカで進行しているのは、空洞化した経済を反転させて製造業回帰を実現するという社会実験です。これは、90年代に本格化したグローバル経済の中で、アメリカは余りにもこのグローバル経済に最適化してしまった、これを止めよう、という言い方も可能です。
とにかく、グローバル経済の中で、まずアメリカは金融とコンピュータ、先端技術という知的産業に特化した国になりました。そして、製造プロセスというのはどんどん他国に出していったわけです。例えばですが、アップルの場合はソフトの部分、そしてハードの設計の部分はアメリカです。ですが、部品は日韓中、組立作業は台湾の鴻海に中国などの工場で行うという国際分業になっています。
その場合のアメリカのGDPとしては、非常にラフな議論ですが、アメリカ国内で売れるiPhoneの価格が100とすると、利益が30でこれはアメリカに落ち、ソフトが30として、これもアメリカに落ちます。ハードの設計などが10でこれもアメリカ、残りの製造と部品、素材が30でこれはアジア、という構造になります。
自動車の場合は、これもラフな議論ですが、例えばGMは中国、フォードは韓国などでの製造が多い中で、こちらは部品もアジアなので、100の売上に対して製造と部品で50がアジア。利益と販社マージンが40としてこれはアメリカ、あとは設計など10でこれがアメリカという配分になるかと思います。
コンピュータ関連の場合、特にアップルだとハードとソフトの一体設計、一体販売なので、ソフト比率が高く、空洞化率は低め、一方で知的所有権の部分が軽いクルマや家電だと、製造地のGDP貢献が多めになるかと思います。
いずれにしても、こうした空洞化の結果として、アメリカ国内に残るのは知的労働だけであり、その他の製造プロセスは国外に流出します。その流出部分を取り返すことは、iPhoneもクルマも家電も国内販売の100%が国内に落ちる、つまりGDPになるという計算があるわけです。
アメリカに勝るとも劣らない日本の「空洞化した経済」
ストーリーとしては筋が通ります。ですが、問題は労働力です。スマホのような集積度の高い製品の場合も、あるいは自動車のような比較的大きな工業製品の場合も、現在では生産現場の主力はロボットとなっています。したがって、人間の仕事はスマホ製造の場合は、防護服に着替えてクリーンルームに入ることになります。そこで何十台いや何百台も並んだ洗濯機のようなロボットの中で、スマホが組み立てられるのを監視する業務になります。
監視というと語弊があり、要するにトラブルシューティング業務が主となります。何らかのエラーが出たら、そのエラーに対応するし、エラーの種類によっては下工程で不良が発見された場合には、工程の上の方を辿って問題を除去するわけです。
また状況によっては、不良品をピックアップするわけですが、相手が精密機器ですので場合によっては、高度な知識が必要になります。高度な知識が必要とされなくても、膨大なオペレーションマニュアルを繰って(といってもタブレットでしょうが)正しい対応をしなくてはなりません。
自動車産業の場合も同じような事情があります。いくら保守政権が環境問題を軽視し、EV化を妨害しようとしても、世界的なEV化が止まるわけではありません。多少はスローダウンするにしても、EV化は進みます。
そんな中で、自動車の製造を国内回帰させたとしても、単純化・標準化された組み上げ部品を合体させるなど製造工程は簡素化され、猛烈な勢いでロボット化が進むことになります。テスラの工場が既にそうですし、そこでは人間の業務は要員数は少ないながらも、一人一人のタスクは高度なものになります。
ですからこれは、いわゆる「忘られた白人たち」とか「取り残されたラストベルト」の雇用対策ということにはならないと思います。では、全く無意味かというと、そうではないと考えられます。ここ数ヶ月の間に、恐らくはAIの実用化の影響で急速に悪化したアメリカの「初級知的労働市場」の労働力の受け皿になる可能性はあります。
つまり当初は、グローバリズムに最適化したエリートへの反感という、やや邪道な政治的動機から動き出した政策ですが、もしかしたら結果オーライ的な効果を生むかもしれないわけです。
さて、ここからが本論なのですが、このように「空洞化した経済」ということでは、日本の場合はアメリカに勝るとも劣らないわけで、多くの産業が国外流出して空洞化しています。
例えば、自動車産業の場合ですが、日本に残っているのは一部の最終組立と、設計、研究開発と管理部門で、例えばエンジンなどの「複雑な大型部品の組み立て」はほとんどが中国に集中しています。また電装部品なども中国です。そして、最終組立の工場も、各消費地における雇用確保をしないと怒られるので、北米にしても欧州にしても現地生産になっています。
またエレクトロニクスの関連については、日本の場合は消費者向けの弱電は手間が面倒なのでどんどんビジネスを丸々外資に売却中です。残っている部分も、製造は国外でというのが主流です。日本のお家芸であった光学機器なども、例えばキャノンは海外工場新設というよりは、生産委託の拡大を進めていますし、ニコンなどはかなりの高付加価値製品についてもタイで生産していたりします。
衣料品に至っては、とにかくファストファッション全盛の中で、バングラ、ミャンマー、エジプトなどに生産拠点を展開する流れになっています。そのようなモノづくりの空洞化というのは、様々な角度から日本の国内経済を縮小させる要因になっています。まず、海外で生産すると、生産に必要な人件費は国内に落ちません。工場を作って維持するための設備投資も現地にカネが落ちます。
ですから、日本のGDPには大なり小なりマイナスになります。ですが、各企業の観点からは海外法人の売上も利益も、本社に連結決算されます。ですから、企業経営の観点からは「より人件費が安く、より効率の良い」場所に生産拠点を移して行ったほうが、業績が良くなるわけです。
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官民を挙げて促進させた「空洞化」の大きすぎる代償
こうした空洞化ですが、本格化したのは1980年代からです。当時は、日本経済は非常に好調で、それこそ世界最高の生産性を誇っていました。その結果として貿易黒字が積み上がる一方で「集中豪雨的輸出」だなどとして、米欧から激しく叩かれていたのでした。
そんな中で、官民挙げて「空洞化」を進めた経緯があります。市場の側から「雇用を守るために現地生産を」という圧力があり、これに政治家も外交官も耐えきれなくなっており、国内のGDPを傷つけることは分かっていても、空洞化を促進する判断になったのでした。
その際には「為替リスクを避けるため」という言い方がよくされました。つまり、例えば自動車の新車発売の場合に、ある値段で事業計画を練っていても、発売までの期間に円高が進むと、原価が高くなって計画の変更を余儀なくされるというわけです。この為替リスクは現地生産にすれば回避できる、だから生産を現地に移すのだという事がよく言われました。
このときは、誰もが「まあ、そうだな」という感覚で見ていたのですが、後から振り返ってみると、当時の自動車産業やエレクトロニクス産業には、「空洞化への後ろめたさ」もあったのだと思います。本音としては政治的圧力を受けているとか、人件費の圧縮ということもあったのですが、ひたすらに「為替リスクの回避」ということが言われていました。
それから半世紀近い年月が流れました。日本を取り囲む経済環境は激変しています。そんな中で、円は最高の1ドル79円からほぼ半値の152円へ下落、賃金水準はほぼ横ばい、ということは人件費の「為替リスク」は半減したと考えられます。GDPの伸びは鈍化が著しく、かつてはG7でトップであった一人あたりのGDPは最下位の水準になっています。
そこで一つの疑問が出てきます。トランプ経済のように、日本こそ製造業の国内回帰を進めるべきではないのか、という疑問です。何しろ為替は追い風、そして人件費は横ばいの中で、人件費の競争力は80年代とは比べ物になりません。今こそ、空洞化で失われた製造業を国内回帰させるべき…そのような仮説は話としては成立しそうです。
では、こうした空洞化の流れを変えて、国内の製造業を復権させることは可能なのかというと、これは残念ながら「ノー」です。本当に残念ですが、4つの理由があり、そのどれもが深刻な理由だからです。
1つ目ですが、市場の問題があります。まず日本の市場は縮小途上です。購買力も細っていますし、何よりも人口減がこの先は加速していきます。この点がアメリカとは全く条件が異なります。アメリカの場合は、巨大な消費地で人口も購買力もあるので、製造拠点を国内に戻すことに成功すればGDPにはプラスになります。
ですが、日本はそうではありません。様々な軋轢を生みながら海外生産を引き上げて、国内に生産を移管するだけのメリットがないのです。更に、現在はトランプ主義の影響により、どんな国も「自国ファースト」という発想を持っています。そんなタイミングで、わざわざ生産拠点を日本に移して、日本から輸出するというビジネスモデルに切り替えるのは、そもそも可能なケースは少ないと考えられます。
2つ目には労働力の問題があります。そもそも日本は生産人口が極端に減少中で、多くの業種で人手不足が顕著となっています。加えて、生産年齢の人口の大都市集中も極めて顕著です。仮に製造業回帰を進めるのであれば、立地としては地方になります。何故ならば大都市圏には遊休地は少ないからです。
そうなると、労働力の地理的なミスマッチが激しいことになります。60年代から80年代に、日本の製造業が爆発的に成長した際には、地方にも若くて優秀な労働力があり、それが経済成長を支えていました。ですが、現在はそのような構造はありません。
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止めるべき国が推進する「観光立国」などというデタラメ
3つ目には、輸送インフラの問題があります。仮に、日本国内に製造業を回帰させることができたとして、製造業の場合は「物理的なモノの輸送」を伴います。その場合のインフラは、昭和の時代のようには整っていません。鉄道貨物は限定的なサービス提供しかできていませんし、主力のトラック輸送は運転手不足で危機的な状況にあります。かといって、自動運転が戦力になるのはもう少し先ということもあります。
4つ目ですが、エネルギーの問題があります。日本という国は、潜在的に電力不足という問題を抱えています。この問題は最先端の製造業には大きな障害になります。例えば半導体にしても、先端光学産業にしても、あるいはスマホなど集積度の高い機器のロボット生産にしても、巨大な電力を必要としますし、何よりも生産途中の停電はタブーです。この点で十分なインフラが整わないと、先端産業の製造拠点には向かないということになります。
ということで、日本の場合は空洞化した製造業を国内回帰させるという選択肢は、ゼロではないにしても、政治運動にして大々的に進めるような条件はありません。
では、日本経済はこのままでいいのかというと、全くそうではありません。今のような大卒50%の高度教育国家でありながら、国が推進しているのが観光立国だなどというデタラメは止めるべきだと思います。勿論、観光業は立派な産業ですが、あくまでGDPに上乗せされるべきものであり、観光で立国というのは人材の活用方法の中では絶望的だからです。
勿論、日本が「日本ファースト」の経済に舵を切ることは必要だと思います。つまり多国籍企業が国外市場に依存し、更には国外投資を強める流れを断ち切って、「よりGDPを重視する経済」にシフトするのです。その場合に必要なのは、次のような観点です。
1)アメリカへのデジタル赤字を止血すべきです。これは一朝一夕にはできません。人材力、技術力、そして何よりも資金力が圧倒的に足りないからです。ですが、例えば欧州と連携して21世紀の独禁法体系を作るとか、サービスは受けるがセキュリティだけは確保するとか、あの手この手を使って行くべきです。
例えばですが、2次元キャラも絵文字も日本の発明ですが、マネタイズできていません。これから、3Dとかメタバースなどの時代になれば、自然環境の視覚表現だとか、音声、触覚表現などの領域も出てくるでしょうが、そうした変革の時代には、日本独特の自然観とか美意識のようなもので勝っていく勝負のポイントがあるはずです。
そうした場合に、平成期のようにイノベーターを潰すのではなく、日本としてしっかり経済にしていくという戦略、文明をしっかり確保する必要があると思います。知財戦略も、バカみたいなコンプラ自縛の迷路に入るのではなく、世界規模でのマネタイズができるような法体系、商慣習を生み出すべきです。
2)日本がアジアの金融センターになる可能性はまだ残っています。これだけ数字に強い国民を抱えているのですから、できないのがおかしいのです。とにかく「リスクを取らないリスクを理解」したうえで、「インフラとしての英語と会計、数学」の普及をしっかりすれば、少なくとも英国やシンガポールには負けないぐらいには戦えるはずです。
この点に関しては、マーガレット・サッチャーの手法を参考にしてもいいかもしれません。改革の前半は外資が入ってもいいので、その後で人が育ち、カネが回り始めたらジワジワ独自色を出すことは可能だと思います。
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大嘘でしかない「日本の強みは中小企業」などという言説
3)自動車が終わったら何もかもを失うというのではダメで、やはり宇宙航空をやるべきです。船舶は付加価値が取れないので、トランプ提案は現有の生産力でお付き合いできる程度にとどめ、とにかく宇宙航空です。その場合には、高市方式で軍需も視野に入れてもいいですが、それが技術の囲い込みになり官需依存になっては産業として立ち上がりません。素材などの基礎技術を含めて、軍需対応をする場合は、民生品産業を妨害しないことが大切です。
宇宙航空も、人材の要素が大きいので、多国間での協業もいいと思います。とにかくチマチマやるのではなく、最先端を追い続けないとダメだと思います。
4)コンピュータ、金融、宇宙航空に人を振り向けるために、とにかくSTEM教育への強化と、インフラとしての英語をしっかりすべきです。次世代だけでなく、現役世代の学び直しも、それこそ現役世代を「夜間大学院」に通わせるといった、伸びていく時代のシンガポールがやっていたような取り組みが必要です。
特にターゲットとすべきは、事務職です。現在の日本は高い教育水準をもった労働力を生産性の低い事務職として浪費しています。ここから、数百万単位、いや千万単位の労働力を、知的付加価値生産に回すのです。事務は自動化、標準化を徹底し、企業の管理部門は解体して現業と外注に持っていき、地方行政は広域化、標準化、省力化をするのです。
これだけ基礎力のある人口を持っているのですから、その人口にSTEMと英語の学び直しをしてもらい、一千万単位で事務職を技術職+専門職にアップデートするのです。ここまで人間の知的能力を浪費している社会は、このままでは滅亡しますが、そこをしっかり立て直すのです。
5)事務職から専門職へ人材をトランスフォームするだけでなく、企業のあり方も変えなくてはなりません。日本の強みは中小企業だとかいう言い方がありますが、あれは大嘘です。成長途上で、今は小さいが拡大の可能性があるというのならいいんですが、それ以外の中小企業というのは、オーナー経営者が低賃金労働力を使うことで成立するアンチ成長のモデルになっています。
規模の経済というのはあるので、10のビジネスについて1社ごとにオーナー経営者がいるのではなく、それが30まとまって300のビジネスになり、という流れが必要です。そこを優秀な経営陣がリードして拡大しつつ高い粗利益を出して、分配もするようにしなくては、経済は伸びません。
この点に関しては、どうも日本国内の経済関係者は言い出しにくい雰囲気があるようです。小西美術工藝社のアトキンソン氏がズバリ指摘したわけですが、今でも叩かれているのを見ると、政治と絡んだ「地方名望家」の執念を感じます。いずれにしても、資本の細い中小企業に素材や部品のノウハウをバラバラに置いておくのは、経済安全保障の上でも良くないので、規模と成長の仕掛けへと束ねていくことは必要です。
いずれにしても、本当に日本の経済を憂えて、成長を志向するのであれば、まずトランプ式の「製造業回帰」というチョイスはなさそうです。そうではなくて、産業構造を高付加価値知的産業に転換すること、その作業を通じて高度に教育されて基礎力を持つ人々の能力が、21世紀の世界に適応してその実力を発揮することが必要です。
そのような改革の流れを「新自由主義」だ、などという苔むした言葉で叩く「保守」というのは、同じ保守でも明治時代を切り開いた日本人ではなく、寛政の改革をお手本にしようとしているのかもしれません。
※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2025年10月28日号の抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。今週の論点「もう無理、本当の悪が野放し、退職代行騒動の顛末」、人気連載「フラッシュバック80」もすぐに読めます。
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- 【Vol.610】冷泉彰彦のプリンストン通信 『トランプ経済の日本への適用は?』(10/28)
- 【Vol.609】冷泉彰彦のプリンストン通信 『政局と対立軸の三角形』(10/21)
- 【Vol.608】冷泉彰彦のプリンストン通信 『政局大混乱、結局はカネの世界か』(10/14)
- 【Vol.607】冷泉彰彦のプリンストン通信 『高市早苗氏と地方名望家』(10/7)
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