戦争と同じほどの一大事。大物右翼が同志たちの猛反発を抑えるため「天皇のご聖断」という言葉を用いた出来事とは?

Washington,,D.c.,,12,August,1994,--,Japanese,Emperor,Akihito,And
 

1959年、民間出身初の「皇太子妃」となった美智子現上皇后。しかしその結婚を巡っては、現代の社会感覚では考えも及ばない動きもあったことをご存知でしょうか。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では辛口評論家として知られる佐高信さんが、現上皇ご夫妻の結婚に当時の右翼勢力が見せた反対運動の実態を、政治活動家の証言をもとに再検証。さらに彼らの反発を抑えた「ご聖断」という言葉の重みに注目しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:上皇后の結婚に反対した右翼

上皇后の結婚に反対した右翼

現上皇と上皇后の結婚をめぐって、自民党の平井義一という代議士が、衆議院内閣委員会で宮内庁長官に、恋愛結婚ではないのだな、と質問したことは知っていたが、当時の右翼の反対は大変なものだったことを、鈴木邦男の証言で改めて確認した。

日清製粉の社長の娘である正田美智子は、“粉屋の娘”とか言われたが、民間人である。

それが右翼には許せなかった。

そのことが、荒原朴水の『大右翼史』(大日本国民)には詳しく出ている。

それによれば、右翼は辞退しろと正田家に抗議に行ったりした。

鈴木と川本三郎の『本と映画と「70年」を語ろう』(朝日新書)で、鈴木が語っているのだが、あの当時は学習院の卒業生グループの「常盤会」が反対したと聞いたがという川本の問いに、鈴木はこう答えている。

「民間の愛国団体とも共闘したと書いてあるんです。最終的には、右翼のまとめ役だった佐郷屋嘉昭(旧名・留雄。昭和5年、浜口雄幸首相を東京駅で狙撃)たちが抑えたんです。

最初は、正田家は許せないとみんな言っていたんだけど、最終的には、これは皇太子殿下だけではなく、天皇陛下も認められたんだと『ご聖断』は下ったのだと。

すごいよね。戦争と同じですよ『ご聖断』なんて。それほど大きなことだったんです」

「右翼の中では大激震だった」と鈴木は振り返っている。

「じゃあ、現在の美智子さまに対しては、何のわだかまりもないわけですか」と問われて、鈴木が再び答える。

「ええ、ご聖断が下ってますから。ちょうど終戦を受け入れたのと同じです。徹底抗戦を叫んでいた人とか、玉砕を叫んでいた人たちも、天皇陛下のご聖断に従ったのと同じように従ったんですよ」

右翼は、旧華族などと見合いで結婚すべきだと思っていたのである。

冒頭に引いた内閣委員会では、平井は、こう質問している。

「もしも伝え聞くように、皇太子殿下(当時)が軽井沢のテニスコートで、見初めて自分がいいというようなことで言ったならば、ここにおられる代議士さんたちの子どもと変わりない…。これが果たして民族の象徴と言いうるかどうか、私は知りませんが、あなたから進言されたものか、皇太子殿下がご自分で見初められたものか、この点をお尋ねしたい」

これに対して、宮内庁長官は、恋愛結婚ではないと明確に否定したのである。

経済誌の記者時代に、美智子妃の弟が、日清製粉の社長になって取材したことを思い出す。

もちろん、そうしたことは尋ねなかったが、右翼が正田邸まで押しかけたことは知らなかった。

ユニークな右翼の赤尾敏は、ギャンブルに「天皇賞」はやめろと主張していたという。

競馬の天皇賞は、明治天皇が競馬が好きで、横浜の競馬場に何度も通っていたからだとか。

※ 文中敬称略

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