反対する祖父と、信者である母親との対立のなかでの板挟み
妹さんの証言を聞きながら、改めて一般の親が児童虐待をするのはとは違い、救いの道がない状況であったことがみてとれます。
被告の家庭は、信者である母親からの児童虐待を受けるだけでなく、教団に反対する祖父との板挟みのなかで、輪をかけて苦しめられたと推察します。
こちらは、山上被告の言葉になりますが(祖父から)「母親が帰ってきても、家に入れないように鍵を閉めて、鍵も回収して、『母親抜きでやっていく』というようなことを言われた」としています。
母親を家に入れると「なぜ入っているのか。誰が開けたのか」と、子供たちが祖父の怒りの矛先となり、責められていたようです。二重苦に陥っていることがわかります。
しかし、祖父の気持ちもわからなくもありません。
教団へ強い批判をすれば、母親の目が覚めて、信仰から離れるだろうとの思いで行動したのでしょう。これまで子供に愛情を注いできた人ほど「きっと気づいてくれる」との気持ちが強くなり、そうした行動をしてしまいがちだからです。
しかし旧統一教会のようなカルト思想をもった団体においては、この行動は逆効果です。信者らは、それをサタンからの攻撃と考え、信仰がより強くなってしまいます。
教団の側でも、反対する親がそのような強い行動に出ることは想定済なので、どのように対策をすべきか、信者に教え込んでいます。
旧統一教会への対応方法への理解が乏しい祖父の行動に加えて、母親の宗教的虐待もあり、被告と兄弟は相当苦しんだはずです。
通常の児童虐待と違い、救いの道がなく、三重苦に陥っていた被告の兄弟たち
それだけではありません。山上被告の兄弟たちは、さらなる苦悩を背負い、三重苦に陥ります。
他の宗教2世もそうですが、この問題の根深さは、通常の親が児童虐待するのとは違い、信者である母親の背後に宗教団体と教義があるために、もし子供が虐待行為を周りに相談しても「宗教の問題」「信教の自由の問題」として片付けられてしまいます。その結果、どこにも相談できないことになります。
そうした社会の状況に加えて、旧統一教会の被害への認識もないために「周りに相談できない」という三重苦の状況にあったはずです。
はからずも、安倍元首相銃撃事件を通じて、その実態が世に明らかになりましたが、本来ならば、もっと早く、宗教2世の実情に気づくことが社会には必要でした。
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