小林よしのり氏「中道には命懸けの覚悟がいる」。統一協会とズブズブの高市政権に説く、国家主義者・頭山満が示した「中道」の覚悟

 

中道改革連合への凄まじいバッシング

だが、そんな高市に早くも誤算が生じた。立憲民主党と公明党による新党「中道改革連合」の電光石火の結成である。

自民党内には、公明党とは26年にもわたって連立を組んできたのだから、一度は別れてもまた出戻って来る可能性もあるという読みもあり、地方レベルでは、まだ公明党支持者が自民党を支援してくれるはずという期待もあったらしい。

確かに維新との連立を続けるよりは、公明との再連立の方がマシだとも思っていたのだろうが、そんなムシのいいシナリオは一夜にして完全に消滅した。これは大変な衝撃だったことだろう。

現在、中道改革連合に対して凄まじいバッシングが行われているが、これは逆に、その衝撃や脅威の大きさを如実に表している。

何の脅威もないのなら、ここまで必死にバッシングなんかしない。立民と公明の新党結成は政権交代の可能性まで含んでいるから、皇統の男系固執ネトウヨ、統一協会、サナ活ファンらが狂乱の罵詈雑言をぶつけまくるという状況が生じているわけである。

そしてその罵詈雑言の中で、「中道」とは何だ?という難癖にも等しい疑問がぶつけられている。

だが、そんなことはここで厳密に定義する必要などない。極右でも極左でもなければ「中道」なのだ。高市政権は完全に「極右」になってしまっているから、それよりも左側に距離を取っていれば「中道」だ。その程度の感覚でいいのである。

ただ、「その程度の感覚」とはいっても、それがそんなに簡単なことではなかったりもする。

なにしろ、昨夏あれだけ「中道」「中道」と言いまくっていた山尾志桜里が、それから半年も経たないうちに高市早苗推しの極右に転落してしまって、しかも本人にはその自覚すらなく、まだ自分が「中道」の元祖であるかのように思い込んでいて、中道改革連合に対して「『中道』という理念を政局の消費ワードにしないでほしい」などと、上から目線の物言いをしているくらいなのだから。

頭山満が示した中道の覚悟

わしが「中道」と聞いてまず連想するのは、『ゴーマニズム宣言SPECIAL・大東亜論』の主人公として描いた頭山満の、次の言葉である。

「世の中は寄合船のようなものだ。右側に綺麗な花が咲いていれば皆んなが右に寄って行ってしまう。ただ、それでは舟はひっくり返ってしまう。

右に花が咲いていたら、左に身を寄せる。私はそんな役割なのだ」

ところがこれを言った頭山満という人物は、戦後は「右翼の巨魁」というイメージを植えつけられ、タブー視され、長らく忘れられた存在と化していた。

そのようなイメージを作ったのはGHQの占領政策だった。

1946年1月4日、GHQは日本政府に対して「戦争指導者の公職追放」と「超国家主義(極端な国家主義)諸団体の結社・活動禁止」という、2つの重大指令を下した。

そして「超国家主義団体」、すなわち極右団体として解散命令を下された27の団体の中に、頭山満らが結成した玄洋社の名があったのである。

GHQが玄洋社に解散指令を下す際に決定的な影響力を及ぼしたのは、GHQの調査分析課長を務めたカナダ人外交官・歴史学者のハーバート・ノーマンだった。

ノーマンは玄洋社を「日本帝国主義の前衛」「日本の国家主義と帝国主義のうちでも最も気違いじみた一派」と記し、頭山を「政権を取る前のヒトラーと同じ」とまで評していた。

それは全く実態とはかけ離れた、悪意に満ちた分析だったが、これを鵜呑みにしたGHQは玄洋社を極右認定して解散指定し、それより2年前に89歳で世を去っていた頭山にも「極右」のレッテルが貼られてしまったのである。

ちなみに、玄洋社や頭山を「極右」と見なしたノーマンは実は共産主義者であり、後に「赤狩り」旋風の中で「ソ連のスパイ」との嫌疑をかけられ、自殺するという末路をたどっている。

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