命を張った「日中不戦」の主張
頭山満は死後にGHQによって「アジア侵略の尖兵」との濡れ衣を着せられてしまったわけだが、事実は全く逆だった。
支那事変の勃発以降、日本軍は中国国民軍との戦いには、連戦連勝だった。日本の世論は「暴支膺懲(ぼうしようちょう=横暴な支那を懲らしめよ)」をスローガンに、中国をとことん叩きのめせという意見が圧倒的だった。
そんな中で頭山満は「日中戦うべからず」と唱え、早期の和平交渉を主張し、中国国民政府の総帥・蒋介石との直接会談を行おうとしていた。
当時は日本政府が汪兆銘を担いだ傀儡政権を南京に樹立させ、これが正当な中国政府であるとされていたにもかかわらず、頭山はあくまでも重慶の蒋介石こそが中国の代表だとして、蒋介石と交渉しようとしていた。これは政府の方針に真っ向から逆らうことだった。
以上のことも、石瀧豊美氏の研究で明らかになっており、「小林よしのりライジング」でも以前に紹介している。
Vol.521「頭山満 未完の昭和史」 https://note.com/yoshirin_k/n/na03a51baf68d?magazine_key=m7eeed018dacc&from
現在もネトウヨが「中国に屈するな!」と吠えていて、わしが「中国とは戦えない」と言ったらバッシングを受けるという状態だが、こんなものは当時の頭山満に比べたら全く物の数ではない。
今のネトウヨはあくまでも少数者であり、現在の日本に中国と真っ向から戦える軍事力も覚悟もないのに無責任に言っているだけだし、日本政府だって本当に中国と戦うつもりなどサラサラない。
それに対して、支那事変当時の日本は実際に中国軍と戦って連戦連勝しており、国民のほぼ全員が「中国をとことん懲らしめろ!」と唱え、政府もそれを受けて南京に汪兆銘政権をつくり、中国全体を制圧せんという勢いだった。
そんな時に頭山は「日中不戦」を唱え、重慶の蒋介石政権を正当として交渉しようと主張していたのであり、それには命の危険すらあったはずである。
今こそ頭山満に学ぶべき時
「中道」と聞くと、なんとなく「無難」というイメージも湧いてくるが、実際にはそんなことはない。特に世の中全体が大きく右、または左に傾いている時に「中道」を主張することは、命懸けの覚悟が要る。
頭山満こそが、まさに命を張ってそれをやっていた「中道」の人だったと言えるのである。
これだけスケールの大きかった人物が、戦後に歪められた解釈によって「極右」だの「侵略主義の尖兵」だのと罵られ、忘れ去られた存在になっていることは看過できないと、わしは頭山満を主人公にした『大東亜論』を描いた。
そうして第1巻『巨傑誕生編』、第2巻『愛国志士、決起ス』、第3巻『明治日本を作った男達』、第4巻『朝鮮半島動乱す!』と描き進めてきたが、掲載誌「SAPIO」の休刊のため、未完となってしまった。
物語はまだ日清戦争にも至っておらず、いよいよこれから「大アジア主義」を掲げる玄洋社・頭山満の飛躍や葛藤が描かれるところだったので、残念で仕方がない。
しかし、ここまで描かれた分だけでも、教科書には描かれない、入試には出て来ない日本近代史の真実が存分に詰め込まれているので、もっと多くの人に読んでほしいと願っている。
高市早苗は今度の選挙結果に「首相としての進退を賭ける」と明言した。
そうなるとこの選挙の最大の争点は、「統一協会とズブズブで、愛子天皇の実現を妨害して皇統断絶に追い込もうとする亡国政権」を延命させるか否かということになる。

そして、極右に振り切れてしまった政治を正常化させるためには、今こそ「中道」が求められている。
そんな今だからこそ、実は「中道」の人だったといえる頭山満に学ぶべきことは、限りなくあるのだ。
(メルマガ『小林よしのりライジング』2026年1月20日号より一部抜粋・敬称略。その他の記事はメルマガ登録の上お楽しみください)
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