●惜しかった石破内閣というチャンス
最近では、
・篠原孝『農的小日本主義』(柏書房、1985年刊)、
・武村正義『小さくともキラリと光る国・日本』(光文社、1994年刊)、
・鳩山由起夫『脱大日本主義』(平凡社新書、2020年刊)
もその流れの中にある。
さらに政治的に大きな出来事としては、23年6月に、上述の篠原孝(立憲)、古川元久(国民民主)、岩屋毅(自民麻生派)の3人が共同代表となった「超党派石橋湛山研究会」の結成がある。折しも24年10月、そのメンバーの一人である石破茂が首相となり、岩屋(外相)のほか村上誠一郎(総務相)、中谷元(防衛相)、平将明(デジタル相)、伊藤忠彦(復興相)らメンバーが続々入閣したので、古川元久は「湛山の思想を中心に国を運営していかなければいけないという思いの人が集まっており、〔政界〕再編する時の軸はここしかない」とまで期待を膨らませたが、石破に政治の流れを小日本主義、ミドルパワー志向へと転轍するだけの器量はなく、また野党第一党の立憲指導部にこの意味を理解する人がいなかったため、このチャンスは活かされることなく終わった。
●「保守vs中道」では座標軸が立たない!
逆に立憲の側から言えば、この時に石破内閣を上手く使って流れを変えることに失敗したことが、同内閣の早々の退陣と高市総裁の誕生を生み、それが今回の「中道」の壊滅的敗北にまで繋がったという脈絡になる。
1996年の旧民主党は、最近刊行された奥賢一郎・中島政希編の大作『民主党史』(ミネルヴァ書房、26年2月刊)も描いているように「民主リベラル」という自己規定と共にスタートした。同書にも写真が掲載されている民主リベラルの概念図は私が奥教授らからヒアリングを受けた際に提供したものである(図3 https://bit.ly/4tuDEsr )。
ところがこの「リベラル」の文字は早くも97年春に新進党からバラけた方々がドッと流入して「民主党再結成」となった際に消し去られて「民主中道」という言い方が始まった。私はこれに反発して「中道じゃダメなんですよ」と要所に説いて回ったが相手にされず、そのため私はこの党に半ば興味を失ったのだった。その後もいくつかの節目があったものの(私はちゃんとトレースしているわけではないが)「中道」という幻想は同党にずっと付き纏っていたように思う。そして結党から30年経って、とうとう「民主」の文字も消えて、「中道」だけになり終わったのが今で、私の観点からすれば、だからこの党は今回、壊滅したのである。
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