文化の変容
企業の場合でも同様でしょう。チームが保持している情報をできるだけ明文化してもらい、個々人の判断やその経緯もできるだけ文章として書き残していく。そういう体制が整ったら、生成AIは大きな補助として機能してくれるはずです。
逆にそれがない状態では、たとえ生成AIでも現場に必要な判断はきっと下せないでしょう。コンテキストが圧倒的に不足しているからです。
少し前ならDX、さらに前ならデジタル化、もっと前ならオフィスオートメーション化と、さまざまな呼び方がされてきましたが、それを「システムを購入する」という意味ではなく、上記のような情報のやり取りやその文化を根本的にシフトするという意味で受け取ってきた企業ならば、生成AIの導入はきわめてスムーズに行えるはずです。
個人でも同じで、個人へのパソコン普及が広まった時代以降、ライフハックを代表とするパーソナルコンピューティングの営みを着実に続けていた人ならば、自分の仕事に関する資産が何かしらの形でデジタル化されているはずです。ある人はEvernoteに入っているかもしれません。ある人はローカルのorgファイルに入っているかもしれません。別の人は自分のブログが個人の記録を保存するものかもしれません。
なんであれ、そうして情報・記録が残っていれば、生成AIに渡すコンテキストのとっかかりとしては非常に優れたものになります。
逆にすべてを「頭」で済ませていた人は、生成AIの導入は大仕事になってしまうでしょう。でも、不可能というわけではありません。先ほども述べたように生成AIを導入することを一つの機会として形式知化を進めていくのはよい判断だと思います。
というのも、個人で仕事をしている場合、誰とも情報を共有する必要がないので、仕事に関するさまざまな知識が暗黙知の状態に留まってしまいがちなのです。それはそれでラクチンなのですが、暗黙知から形式知に変換することによって、知を共有できたり、またそうして提出された知を改訂して、新たなる暗黙知を創出する契機となったりと、効能はたしかにあります(ブログで自分のノウハウを紹介するとよくわかると思います)。
大きな変化が迫っているこの時代だからこそ、改めて「自分の仕事」を再点検してみるのもよいでしょう。
身近な言い方で
ここまで”暗黙知”みたいな難しい言葉を使ってきましたが、ルンバのたとえに戻るならば、これは「自分の仕事の棚卸し」なのです。すべての物品を点検し、しかるべき場所に戻すこと。不要なら買い足し、過剰なら廃棄する。そのようにして仕事の内容を「片付け」ておけば、生成AIもその道を歩みやすくなります。
プログラム=アルゴリズムの状態だと人間がそれを擬人的に捉えるのは難しく、それはつまりその対象のため何かするという気持ちが起こりにくかったわけですが、「ルンバが通れるように部屋を片付けるみたいに、生成AI(のエージェント)が仕事をしやすいように作業を片付けておきましょう」だと、ぐっとやるべき行為のイメージが湧きやすいのではないでしょうか。
でもって、片付けられた部屋が人間が歩くのにも便利なように、片付けられた作業は他の人が進めるにも便利になると思います。
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