三島由紀夫の小説「金閣寺」は1945年に学僧が金閣寺を放火し全焼させる実際の事件を題材にしたもので、小説では「金閣寺の美に憑りつかれた」学僧との設定で、放火までの経緯を学僧が告白する文体で展開する。
世界的評価の高い三島の代表作のひとつである。
作品の中では学僧を吃音がありコンプレックスを抱えた青年と美への心理を丹念に描いており、実際の事件と深くシンクロする内容であるが、最近の研究では、金閣寺の事件から作品を着想したのではなく、人間のコンプレックスや疎外感をテーマに執筆を考えていたところに金閣寺事件を題材とするに至ったとの指摘も示されている。
日本文学を代表する作品だけに、テーマ設定やプロセスや解釈をめぐっては未解明な部分もある。
事件ではこの学僧が若くして服役中に死亡したことで、動機を含めて事件のすべてが明らかになっていないのもまた、この作品の謎めいた魅力かもしれない。
さらに三島だけではなく水上勉も複数の作品で金閣寺を扱い、映画化、舞台化でも数知れない程描かれてきた。
日本人の美をめぐる探究に金閣寺はひとつの象徴である。
最近のノンフィクションでも酒井順子さんが2010年に『金閣寺の燃やし方』を書き、三島と水上の作品を比較し、精神科医である内海健さんは2020年に『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』で2人の病理に焦点を当てている。
この見方はともに事件当日の社会の反応とは違い、現代的であり、また冷静だ。
社会現象として金閣寺放火事件を見るのは、今となっては歴史的考察になるが、今回の舞台では、それら社会現象を純粋な当事者の精神性に立ち返りながら、また解釈し、表現したことで再度、根源的な問いに立ち返ることができた。
語られていたのは悲劇なのだが、それが美しく思えることに不思議な感動がひたひたと後から押し寄せてくる。
一つひとつの表現が精緻に示されていくのを観客席で受け止め、マルコス言うところの「共有」はしたものの、それを言葉にするのは道半ばである。
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