ソーシャルメディアが発達した現代のコミュニケーションは、気軽さというメリットはあるものの、期待が大きくなりすぎてストレスを抱えることもあります。さまざまな福祉活動に関わるジャーナリストの引地達也さんは、生きづらさを抱えた人からの相談には、不安や心配を確実に共有できる対面での対応が最も有効で効率的だと話します。そして、自身のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』も、「小さな」サイズ感を意識し、保っていきたいと、発行300号にあたり思いを新たにしています。
コミュニケーションの「サイズ」を知り、考えるその責任
本欄は本号で300号となった。創刊以来、週刊のペースを守り続けて約6年、自分の身の回りのことも、自分から遠いことも、心に宿したテーマをやさしい未来に向けてのアプローチを模索しながら書き続けてきた。記事によっては、発信はされたものの、静かに置いておかれるものもあれば、何かの拍子でネット上に引用され、拡散し、知らないうちに非難や賛美の対象になったこともあった。
発信段階では、小さなコミュニティを意識しているこれの記事は小さなサイズで静かにコツコツ読まれていくことをイメージしているが、時に拡散によりマス化することがあっても、やはり「小さな」というサイズ感は保ち続けようと思う。それは、私にとって当事者性を重要視したいとの意思でもあり、この欄の存在価値でもあると考えている。
コミュニケーションの基本は対面のダイアローグだと考える時、1対1のコミュニケーションからすべてが始まる、との強い意思を維持するには、今の時代、相当な強さが必要だ。1対多数のマスコミュニケーションや対面方式を取らないインターネットのソーシャルメディアのコミュニケーションとは対極にあるダイアローグは、面倒くさいし非効率である。
しかし、生きづらさを抱えた人からの相談でよい方向に向かうには、対面が最も有効で効率的だ。夜中にラインで不満や不安を書き連なってきても、対面で話をすれば「すっきりした」と言う人も少なくない。これは、その人が表層的ではなく深層的に求めるサイズに合致したコミュニケーションをした結果であり、このサイズとは当事者性を受け止め、そして持っている不安や心配を確実に共有できるものである、といえる。
ソーシャルメディアのサイズは実は分かっているようで、不確定要素を含み、それが不安を付きまとわせる。発したものを本当に読んでくれるのか、真意が伝わっているかのやりとり、時には一方通行になり、時には「無視」しようという行為に、コミュニケーション当事者の双方がストレスを抱えることになる。
分かり合える、という期待感の中で話を展開する傾向があるから、分からない場合には、高圧的な態度にもなり、排除する行為にもなってしまう。この気軽さの中で展開されるソーシャルメディアコミュニケーションには、私もトラブルシューティングに随分と関わってきたから、社会的な問題であることを認識しつつ、メディアリテラシーとして教育現場での対応が十分でない現実を感じている。
今回、「サイズ」という概念でコミュニケーションを考えることが、1つの手がかりになってほしいと思う。私が続けるこの欄は、この小さなコミュニティというサイズで自分の責任を果たそうと考えている。それは、自分の責任範囲であり、読者の感想にも対応できる範囲である。
実際に読者の感想などもいただくが、これはうれしい生の反応として、その読者の当事者性を肉感しながら、また私の書くことに豊かな見識を与えてくれる。「やさしさ」を追求している本欄において、やさしくあろうとする時、このコミュニケーションがマス化することはないであろう。
マス化する、拡大化することが、何らかの解決には至らないことは最近の私たちの社会が学習したことである。このサイズを保ちつつ、良質なコミュニケーション世界を確立するために、探求を続けたい。
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