英語教育の重要性ばかりに気を取られもてはやす一方で、私達は母国語である日本語力を自ら加速度的に衰えてさせてしまっているのかもしれません。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役教師の松尾英明さんが、日本のビジネスマンも閲覧するようなネットニュースでも、難しい漢字を仮名書きに置き換える現在の潮流に警鐘を鳴らしています。
「一世を風び」からの問題提起
ネットニュースの一覧をチェックする。当たり前だが、テレビと違い、伝える主な手段は音声ではなく、書き言葉の文字である(無駄にキャッチ─で刺激的なコピーが多いのが気になる)。
ある記事に大きく「一世を風び」とあった。
これでいいのか。
今回はこの「変な漢字仮名交じり文」について考える。
小学校、特に低学年では、割とよくある。読める漢字が少ないためである。振り仮名を振れば問題ないのだが、これも二度手間であり、避ける人が多い。要は、平仮名にして、読むのを易しくしているのである。「あなた方にはきっと読めないでしょうから」という配慮であり、優しさともいえる。
しかし一方で「読めないから読ませない」を続けている以上、読めるようにならない。「木登りは危ないから、登らせない」→「だから、ずっと登れない」という問題と同じである。木を登るような経験のない子どもは、いざ高い所から落ちた時にかなり危険である。
これは、本当に相手を思いやった「優しさ」と言えるのか。易しいものばかり与えることが、優しさと言ってよいのか。
「一世を風び」の記事に戻る。正しくは「一世を風靡」である。確かに難しい漢字だが、読めないことはない。平仮名が入ると、違和感である。初めてみる言葉にすら見える。
配慮なのだろうが、余計なお世話である。ちょっときつい言い方になるが、読者を馬鹿にしているともいえる。あるいは「読字力がかなり低い読者層」をメインに想定しているのかもしれない。だとしたら、ビジネスマンが見るようなニュースにそれを載せるべきではない。
そう。馬鹿にしてはいけない。人間は、今知らないことも、学べば知ることができる。それが、学習である。まして、子どもは、賢くなるために学校に来ている。どんどん漢字を使って振り仮名をふって、教えるべきである(というのは、残念ながら私ではなく、師の野口芳宏先生の長らくの主張である)。
もう一つ。「一世を風び」と書いた場合、読めるかもしれないが、意味がわかるのか。読めないレベルの人が、意味ならわかるというのも、少し考えにくい(その場合、もしかしたら「いっせいをふうび」というオール平仮名か片仮名の単語で覚えているのかもしれない)。
日本人の語彙力の低下が問題である。それは、メディアの影響もあるかもしれないが、当然ながら学校教育の責任が第一義である。
堂々と漢字を使う。もし読めなかったとしても、調べる手段はいくらでもある。
英語の問題ばかりが取り沙汰されるが、日本語の問題も相当に真面目に考えていいところである。
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