多くの親御さんが抱えている、我が子の勉強への姿勢に対する悩み。どうしたら子供の「勉強やる気スイッチ」をオンにすることができるのでしょうか。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役小学校教諭の松尾英明さんが、そんな悩みに教育の専門家ならではの回答を記しています。
勉強へのやる気が出る方法は存在するか
やる気を出すにはどうするか。勉強ができるようになるにはどうするか。
こういった質問を受けることが、最近特に多い。直接受けることもあるし、メールでもちょくちょく来る。多くの人の関心事であり、悩みなのである。
これに答える前に、誰が悩んでいるのか、ということも考慮しなければならない。
教える側なのか。
親なのか。
本人なのか。
さらには、自分の悩みなのか自分以外の他者の悩みなのか。
これによって、回答は全く異なる。
先に言うと、他者の悩みは、周りが悩んでもどうにも仕方ないことが多い。そもそも本人の問題になっていないからである。この場合は、申し訳ないがどうにもできないと答えるしかない。
本人の在り方について悩んでいる場合である。自分がそこに関してどうあるべきか悩む、ということには、多少なりとも相談を受けることはできる。
教える側に言えること。やる気に関しては、自分自身を内発的に動機付ける以外にない。自分は何のためにこれを教えるのか、何を目指すのか。ここがはっきりしないのにやる気が湧くのは難しい(娯楽のように、単なるレジャーとして楽しめるなら別である)。
親という立場の人に対してアドバイスできること。自分自身に対してやれることをやるしかない。子どもに「やらせる」という発想をもっている間は、何もできない。子どもが親に求めることは、勉強を教えてくれることでも、勉強へのやる気を引き出させてくれることでもない。親の役目は、外で精一杯がんばっている子どもにとっての、安全・安心の補充基地である。自分の在り方として、どういう親だとそれが果たせるか、考えてみてくださいと伝えるぐらいしかできない。
子どもの立場に対してアドバイスできること。「誰かが自分のやる気を引き出してくれる」「上手に教えてくれたら自分は勉強ができるようになる」という幻想を一切捨てることである。真実は「やればできる子とは、いつまでも言い訳をしてやらない子のこと」である。自らの手足を動かしてやることでしか、できるようにはならない。
子どもによく言って聞かせる諺がある。「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」これが真実である。教える側や親のできることは、水辺に連れて行くこと、つまり環境の提供までである。実際の行動である水を飲む、という行為は、完全に主体的な行為である。
この辺りの甘えというか勘違いが、教育の世界に蔓延しているように思えてならない。学習塾への考え方についても同様で、難関校に多数合格者を出している塾が、我が子の頭を良くしてくれる訳ではない。それはあくまで、水辺の一種である。教え方がものすごい訳ではなく、難関校を目指すような子どもが集まる水辺なのである。その水が本人に合っているかどうかは、よくよく考える必要がある。
拙著(共著)『やる気スイッチ押してみよう』も、第一章の冒頭に書いたのが「主体変容・率先垂範」である。これがすべてのベースである。本を読んでやる気が出るかどうかは別として、本を置いてでも早く行動せよと書いているのである。
解決方法は、自分の中にある。古来より言われる、普遍の原理原則である。
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